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最上敏樹『人道的介入―正義の武力行使はあるか』 (岩波新書) 191 :190つづき:2009/01/13(火) 02 33 39 …… 最上敏樹 『人道的介入―正義の武力行使はあるか』 (岩波新書) NATOによるユーゴ空爆などについて国際法的観点から考察。緻密・冷静・良心的な内容。 だが理想主義的な甘さも感じられなくもない … ⇒アマゾンリンク
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『知に歴史あり 岩波新書・中公新書・講談社現代新書』 2011末 「 」 内は、当該新書を含む新書マップのテーマ 2012.12現在 なお、含まない場合は、(参考)として関連するテーマを記載 1.岩波新書・小田野選 (中公新書) 石光真人編 『ある明治人の記録』 「明治時代」「読書ガイド」 山室信一 『キメラ 満州国の肖像』 7FS222.5ヤ 「満州」 佐藤俊樹 不平等社会日本 県立 7FS361.8ナ 市立 大学361.8.Sa85 「格差社会」「読書ガイド」 (講談社現代新書) 池上俊一 『動物裁判』 「中世ヨーロッパ」 橋爪大三郎 はじめての構造主義 県立 7FS116.3ハ 大学旧 「構造主義」「読書ガイド」 福岡伸一 『生物と無生物のあいだ』 「生命科学」 2.中公新書・白戸選 (講談社現代新書) 池上彰 相手に「伝わる」話し方 県立 7FS809.2イ 市立 「プレゼンテーション術」「読書ガイド」 玉野和志 創価学会の研究 7FS188.9タ 市立188.9タ 「新宗教と新新宗教」「読書ガイド」 佐々木敦 『ニッポンの思想』 (岩波新書) 原彬久 『岸信介 権勢の政治家』 7FS289.1キ 大学旧 鎌田慧 『ドキュメント屠場』 県立 8F郷土資料A916カ 市立 大学旧 「部落差別」 吉見俊哉 ポスト戦後社会 県立 7FS210.7ヨ 市立210.7ヨ 大学文庫080.2A.1050 「戦後」 3.講談社現代新書・岡本選 (岩波新書) 鶴見良行 『バナナと日本人』 県立 7FS625.8ツ 市立 大学旧 「食べ物で考える日本人」 中村雄二郎 述語集 県立(著作集) 9F 市立 「哲学入門」「読書ガイド」 太平健 豊かさの精神病理 県立 7FS304オ 市立 大学旧 「精神病理学の視点」「読書ガイド」 (中公新書) 本川達雄 『ゾウの時間 ネズミの時間』 「人とネズミ」 臼井隆 『コーヒーが廻り世界史が廻る』 県立 市立 大学596.7U95 「コーヒー」 岡田暁生 『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』 県立 7FS762.3オ 市立 大学762.3.O38 「クラシック音楽入門」 <これぞ岩波新書> 代表的ロングセラー・ベストセラーより 1.『零の発見』 吉田洋一 県'79 9F 大学旧'39 「数学の歴史」 2.『自由と規律』 池田潔 県立 9F 大学旧 「イギリスの教育」 3.日本の思想 丸山真男 県立 9F 市立(岩木) 大学旧 「丸山真男」 4.『ヒロシマ・ノート』 大江健三郎 「原爆」「読書ガイド」 5.名画を見る眼 高階秀爾 県立 7F書庫 市立 大学723Ta54 「絵画の見方、絵画論」「読書ガイド」 6.『バナナと日本人』 鶴見良行 県立 7FS625.8ツ 市立 大学旧 「食べ物で考える日本人」 7.豊かさとは何か 暉峻淑子 県立 7FS304テ 市立 大学332.1TE77 「豊かさ」「読書ガイド」 8.文章の書き方 辰濃和男 県立 9F 大学旧 「文章の書き方」「読書ガイド」 9.共生の大地 新しい経済がはじまる 内橋克人 県立 7FS332.1ウ 市立 大学旧 10.『やさしさの精神病理』理 大平健 県立 7FS146.8オ 大学旧 「精神病理学の視点」 11.禅と日本文化 鈴木大拙 県立 9F 大学新書庫121.9Su96.11 「禅」「読書ガイド」 12.『論文の書き方』 清水幾太郎 「論文・レポートの書き方」 13.私は赤ちゃん 松田道雄 県立'67 9F'79 大学旧'60 14.歴史とは何か E.H.カー 県立 7FS204カ 大学旧 (参考)「歴史学」 15.栽培植物と農耕の起源 中尾佐助 県立(全集) 7F書庫S615ナ 大学612N41 16.『日本人の法意識』 川島武宜 県立 9F 市立 大学旧 「民法、法律相談」 17.羊の歌 わが回想 加藤周一 県立 8階壁書架918.6カ14(?) 市立'79 大学旧'79 18.音楽の基礎 芥川也寸志 県立 7F閉架書庫 市立 大学761A39 「クラシック音楽入門」「読書ガイド」 19.術語集 中村雄二郎 県立 9F 市立 「哲学入門」「読書ガイド」 20.『外国語上達法』 千野英一 (参考)「日本人と英語」 21.子どもの宇宙 河合隼雄 県立 7FS371.4カ 市立 大学旧 「子どもに教える」 22.『ボランティア』 もうひとつの情報社会 金子郁容 県立 7FS369.1カ 市立 大学旧 23.昭和天皇の終戦史 吉田裕 県立 7FS210.7ヨ 市立 大学旧 「昭和天皇」 24.大往生 永六輔 県立 7FSエイ 市立 大学旧 「永六輔」「読書ガイド」 25.『日本社会の歴史』(上) 網野善彦 26.『日本社会の歴史』(中) 網野善彦 27.『日本社会の歴史』(下) 網野善彦 28.マックス・ヴェーバー入門 山之内靖 県立 7FS361.2ヤ 市立 大学旧 (参考)「マックス・ヴェーバー」 29.『生命と地球の歴史』 松山茂徳 磯崎行雄 「地球科学・物理学」 30.子どもの危機をどう見るか 尾木直樹 県立 7FS371.4オ 市立371.4オ 大学371.42O25 (参考)「子どもの危機」 (これぞ中公新書) 1.『発想法』 川喜田二郎 県立 7FS141.5カ 大学136 2.『ある明治人の記録』 石光真人編 「明治時代」「読書ガイド」 3.理科系の作文技術 木下是雄 県立 7FS816キ 市立 大学407Ki46 (参考) 「文章の書き方」 4. 『胎児の世界』 三木成夫 県立 大学495.6MI24 5.『ゾウの時間 ネズミの時間』 本川達雄 「人とネズミ」 6.「超」整理法 野口悠紀雄 県立 7FS014.9ノ 市立 大学旧 「情報整理法」「読書ガイド」 7.『英語達人列伝』 斎藤兆史 「日本人と英語」 8.『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』 岡田暁生 県立 7FS762.3オ 市立 大学762.3O38 「クラシック音楽入門」「読書ガイド」 9.『入門!論理学』 野矢茂樹 「論理的思考」 10.競争と公平感 大竹文雄 7FS366オ 市立366オ 「格差社会」 11.『アーロン収容所』 会田雄次 12.肉食の思想 鯖田豊之 県立 7FS361.5サ 大学新書庫362.3Sa11 13.詭弁論理学 野崎昭弘 県立 9F 「論理的思考」 14.対象喪失 小此木啓吾 県立 7FS141.6オ 市立 大学旧 15.地政学入門 曽村保信 県立 市立 「現代の帝国主義」「読書ガイド」 16.儒教とは何か 加地伸行 県立 市立 大学新書庫124.1KA22 「儒教」「読書ガイド」 17.『物語アメリカの歴史』 猿谷要 県立 市立 「アメリカ史」「読書ガイド」 18.『物語 イタリアの歴史』 解体から統一まで 藤沢道郎 7FS237フ 市立 「イタリアとイタリア人」 19.『仏教とは何か』 山折哲雄 「仏教入門」「読書ガイド」 20.『サブリミナル・マインド』 下條信輔 「無意識」 21.『物語ドイツの歴史』 阿部謹也 県立 7FS234ア 市立 大学旧 「ドイツの歴史」 22.戦略的思考の技術 梶井厚志 県立 7FS331.1カ 市立 「ゲームの理論」 23.「超」文章法 野口悠紀雄 県立 7FS816ノ 市立 大学816N93 「文章の書き方」「読書ガイド」 24.ユーモアのレッスン 外山滋比古 県立 7FS901.7ト 市立 25.『教養主義の没落』 竹内洋 「教養」「読書ガイド 26.マグダラのマリア 岡田温司 県立 7FS702.3オ 市立 大学旧 「聖母マリア」 27.『働くということ』 ロナルド・ドーア 市立366ド 「日本の雇用」「読書ガイド」 28.カラー版 『絵の教室』 29.日本の統治構造 飯尾潤 県立 7FS312.1イ 市立312イ 30.戦後世界経済史 猪木武徳 県立 7FS332.0イ 市立332イ 大学文庫080C64.2000 (これぞ講談社現代新書) 1.タテ社会の人間関係 単一社会の理論 中根千枝 県立 7FS361.3ナ 大学361.4N38 「1979年以前の日本人論」「読書ガイド」 2.知的生活の方法 渡部昇一 県立(正続) 7FS019ワ(正続)'80 市立(続) (参考)「大人の勉強法」「読書ガイド」 3.『森田療法』 岩井寛 4.ハプスブルク家 江村洋 県立 7FS230エ 「ハプスブルク家」 5.哲学の謎 野矢茂樹 県立 7FS104ノ 市立 大学104N97 6.<子ども>のための哲学 永井均 県立 7FS104.9ナ 市立 大学104N14 7.じぶん・この不思議な存在 鷲田清一 県立 7FS104ワ 市立104ワ 8.相手に「伝わる」話し方 池上彰 県立 7FS809.2イ 市立 「プレゼンテーション術」「読書ガイド」 9.『生物と無生物のあいだ』 福岡伸一 「生命科学」 10.『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎 大澤真幸 7FS190ハ 市立190ハ 「キリスト教入門」 11.論語 貝塚茂樹 9F 「中国哲学」 12.美しい日本の私 その序説 川端康成 県立 7FSカワ 市立 13.本はどう読むか 清水幾多郎 県立 9F (参考)「読書」 14.創造の方法学 高根正昭 県立 7FS301.6タ 大学新書庫301Ta46 15.家族関係を考える 河合隼雄 県立 8F人文科学140.8カ14(著作集) 大学旧 (参考)「家族の問題」 16.はじめての構造主義 橋爪大三郎 県立 7FS116.3ハ 大学旧 「構造主義」「読書ガイド」 17.ローマはなぜ滅んだか 弓削達 7FS232ユ 市立 「ローマ帝国」「読書ガイド」 18.『今こそマルクスを読み返す』 廣松渉 県立 7FS134.6マ 大学134.5Ma59 「マルクス」「読書ガイド」 19.『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』 鈴木董 県立 7FS226.6ス 市立 大学226.6SU96 「トルコ」「読書ガイド」 20.身分差別社会の真実 斎藤洋一 大石慎三郎 県立 7FS210.5サ 市立 「部落差別」 21.「世間」とは何か 阿部謹也 県立 7FS210ア 市立 大学302A12 「世間」「読書ガイド」 22.「複雑系」とは何か 吉永良行 県立 7FS404ヨ 市立 「複雑系」 23.子どものトラウマ 西澤哲 県立 7FS146.8ニ 「児童虐待」「読書ガイド」 24.『無限論の教室』 野矢茂樹 県立 7FS410.1ノ 市立 大学112N97 25.『知の編集術』 松岡正剛 県立 7FS002.7マ 市立 「情報デザイン」「読書ガイド」 26.『日本の公安警察』 青木理 県立 7FS317.7ア 市立317ア 大学旧 「日本の警察」「読書ガイド」 27.『動物化するポストモダン』 東浩紀 「オタク文化」「読書ガイド」 28.『まんが パレスチナ問題』 山井教雄 県立 7FS227.9ヤ 市立 大学227.9Y38 「パレスチナ」 『続 まんが パレスチナ問題』 「アラブの春」と「イスラム国」 山井 県立 7FS227.9ヤ2 市立 29.『発達障害の子どもたち』 杉山登志郎 県立 7FS378ス 市立378ス 「子どもの脳」 30.『不機嫌な職場』
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301 :無名草子さん :2007/08/13(月) 20 03 30 295 298だが、もう一度。 佐伯啓思のは「戦後民主主義を問い直す」というサブタイトルで、 戦後レジーム批判の色彩が濃い。つまり、ひどく政治的。その意味でも、 はずした方がいいと思う。それに代わるものとして、篠原一『市民の政治学』 (岩波新書)を挙げたい。「討議デモクラシーとは何か」というサブタイトル からは「朝日新聞」的な「共産党=市民政治」的な臭いがするが、中身は いたってまともで、ポピュリズム批判も組み込んでいる。 というわけで、入れ替えを提案。 302 :無名草子さん :2007/08/13(月) 20 11 28 「ポピュリズム批判」とやらも充分政治的じゃないか。 304 :無名草子さん :2007/08/13(月) 20 15 25 302 もちろんだ。 問題はなにを「ポピュリズム」と見なしているかだろう。 432 :無名草子さん :2007/08/22(水) 14 17 21 篠原一『市民の政治学』にちょっと物言いをつけておく。 まず、定常化社会、ウォーラーステインと来た時点でお腹いっぱい。 べックの「リスク社会」という概念も個人的にはあまり好きではない。 共同体が健在だった前近代にはリスクはなかったんですか?と問いたくなる。 子供を5人産んで3人死ぬのが当たり前だった時代とか、 飢饉があれば村一つ全滅していた時代より市場経済が発達した現代の方が安全じゃないかと。 まぁ近代においてリスクはチャンスでもある、という文脈はわかりますが。 ポピュリズム批判も世の中が右傾化してきてから言い出すのは姑息な感じ。 香山リカのプチナショナリズム批判を引用してくるのもショボイ。 オルテガやフロムなどのポピュリズム批判はもともと保守派が援用してたのに。 アドルノなんかはまぁ左翼だけど、大衆批判という文脈では保守っぽいでしょ。 ハーバーマスではまだちょっと保守っぽいのでもう少し左が良いと言ってるだけの感じ。 433 :無名草子さん :2007/08/22(水) 14 21 35 ま、篠原先生は姜尚中先生なんかに比べればずっと誠実な感じはするけどねw 434 :無名草子さん :2007/08/22(水) 20 35 43 つまりこのスレは一応、討議デモクラシーを目指してやってるけど、 2ch自体がポピュリズムの総本山だから無理ってことでつね? ⇒アマゾンリンク
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49 :無名草子さん:2008/12/28(日) 14 14 23 最近出た宇宙論入門はどうかね。 書いてる人が佐藤勝彦ってことで結構良いと思うんだけどね。 自分で読むのが一番だけど、一応聞いてみたい。 176 :無名草子さん:2009/01/09(金) 22 39 25 佐藤勝彦『宇宙論入門』(岩波新書)読了。これは正直あまり期待していなかったのだが、結構良かった。 この先生は啓蒙書を書くのがめっちゃ上手い。文系に抵抗なく読ませるためにSF風のプロローグにしたり北欧神話を持ってきたりするところまでは常套だが、 第一章ではわずか34ページほどで、アインシュタインの宇宙項から特異点定理まで簡潔かつわかりやすく説明してしまうのには驚いた。 第二章では素粒子物理学の宇宙論への寄与と、インフレーション理論の概要。真空の相転移について説明してある。 ホーキングの無境界仮説や超ひも理論とDブレーン宇宙、さらにリサ・ランドールらの5次元宇宙についても、ほんの数ページで解説してしまう。 178 :176つづき:2009/01/09(金) 22 41 18 第三章では暗黒物質と暗黒エネルギーが登場。現在の宇宙が加速膨張している事実や背景放射のゆらぎが最新の観測結果により明らかに。 そしてデータ解析により、「ルメートル解」に基づく宇宙モデル(宇宙項が入った膨張モデル)のパラメータ …ハッブル定数・物質密度(暗黒物質含む)・暗黒エネルギーの密度…がわかり、ついに宇宙の年齢や標準的なビッグバン理論の正しさが証明された。 さらに宇宙の晴れあがり状態を表す4つのパラメータを加えると、宇宙の進化の歴史がほぼ解明される。 つまりこのモデルをシミュレーションすることで現在の宇宙が完璧に再現できるらしい。こりゃぶったまげた。 というのは、100億年前の過去なんて誰も見ることはできないのだから宇宙論なんて実証性のない机上の空論だというイメージがあったから。 まさに素人の浅はかさで、宇宙論というのは実証性のある立派な科学であるらしい。 これは進化論についてもよくある誤解ですね。進化論は実証不可能な仮説にすぎないわけではなく、ほぼ確証された理論なわけで。 「科学は過去を解明できる」おkひとつ利口になった。第4章では宇宙の未来について、第5章では地球外生命体について。 これらについてはむしろ現代の段階で実証の困難なSFに近いお話だが、それでも著者は科学の立場からいろいろなことが言えると考えている。 細かいところでちょっと引っかかるところもないことはなく、欲を言えばもっとページ数が欲しい気がするが、 逆にこれっぽっちのページ数にしてはかなり満足度が高かった、という結論。 180 :無名草子さん:2009/01/10(土) 01 04 23 『宇宙論入門』について補足。というか参考書籍など。 ブラックホールについては ジョン・テイラー『ブラック・ホール―宇宙の終焉』(ブルーバックス)http //www.amazon.co.jp/dp/4061178601/ というのが個人的には懐かしい。小学生6年の時初めて読んだ宇宙論本。絶版。 小学生でブルバというのは自慢だが、別に頭が良かったわけではなくSFっぽさに惹かれて読んだだけ。 それでも「事象の地平線」とか「裸の特異点」とかなんとなくかっこよくてwkwkした。 古いのでホーキングの蒸発するブラックホールなどは出てこない。 ブックオフで安く出ていたら買ってみてもいいでしょう。 ホーキングについてはたくさん啓蒙書が出てますが、 竹内薫『ホーキング 虚時間の宇宙』 (ブルーバックス)http //www.amazon.co.jp/dp/406257487X を挙げておく。ブルバでの竹内薫は結構良い。 181 :無名草子さん:2009/01/10(土) 01 05 31 素粒子物理学については 南部陽一郎 『クォーク』第2版(ブルーバックス)http //www.amazon.co.jp/dp/4062572052/ ノーベル賞の人。「対称性の自発的な破れ」について知りたければまずこの名著。 しかし読みやすくはないです。だからベストには推薦しなかった。 天才的な歴代研究者達の「あーでもないこーでもない」の苦闘の跡を逐一たどっているので、 我々凡人にはなかなかついていけない。頭の中が整理できなくなる。 しかし「わからなさ」を味わうのも人生。 小林誠『消えた反物質』(ブルーバックス)も復刊されたが俺はまだ読んでない。 超ひも理論についてはベストリストに入っている川合光『はじめての〈超ひも理論〉』(講談社現代新書)http //www.amazon.co.jp/dp/4061498134/ 5次元宇宙については新書ではないですが リサ・ランドール『ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く』 (NHK出版)http //www.amazon.co.jp/dp/4140812397 ちなみに俺はブクオフで半額で買ったが積読状態でまだほとんど読んでない。 2900円で啓蒙書としては結構高いのでよほど興味のある人以外は無理して買わないでいいでしょう。 日本でも結構売れた本なのでそのうち古本屋に安く出回ると思う。 宇宙論を本格的にやるなら相対性理論や量子力学はもちろんのこと 場の量子論の本格的教科書も読まなくてはならないわけですが、 S.ワインバーグの教科書とか、むろん俺の知能では無理。なのであとは各自頑張ってくださいw [参考書籍] ⇒ジョン・テイラー『ブラック・ホール―宇宙の終焉』(ブルーバックス)竹内薫『ホーキング 虚時間の宇宙』 (ブルーバックス)南部陽一郎 『クォーク』第2版(ブルーバックス)小林誠『消えた反物質』(ブルーバックス)川合光『はじめての〈超ひも理論〉』(講談社現代新書)リサ・ランドール『ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く』 (NHK出版) (リンクはamazon) 2ch厨房が選ぶ新書ベスト @wikihttp //www1.atwiki.jp/test/pages/3774.html
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{{Battlebox | battle_name = 日露戦争 | campaign = 日露戦争 |colour_scheme = background #ffccaa | image = | caption = | conflict = | date = 1904年2月8日 - 1905年9月5日 | place = 満州南部、朝鮮半島沿岸 | result = 日本の勝利、ポーツマス条約 | combatant1 = Template flagicon? ロシア帝国 | combatant2 = Template flagicon? 大日本帝国 | commander1 = Template flagicon? ニコライ2世(皇帝)Template flagicon? アレクセイ・クロパトキン(陸軍)Template flagicon? ステパン・マカロフ(海軍)† | commander2 = Template flagicon? 明治天皇(天皇) /br Template flagicon? 大山巌(陸軍)Template flagicon? 東郷平八郎(海軍) | strength1 = | strength2 = | casualties1 = | casualties2 = }} 日露戦争(にちろせんそう、ロシア語 Template lang? ルースカ・イポーンスカヤ・ヴァイナー、1904年(明治37年)2月6日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国(ロシアと同盟していたモンテネグロ公国も宣戦布告するも、実際の戦闘には参加せず)との間で朝鮮半島と満州(中国東北部)南部を主戦場として発生した戦争である。 背景 日英同盟 ロシア帝国は、不凍港を求めて南下政策を採用し、露土戦争などの勝利によってバルカン半島における大きな地歩を獲得した。ロシアの影響力の増大を警戒するドイツ帝国の宰相ビスマルクは列強の代表を集めてベルリン会議を主催し、露土戦争の講和条約であるサン・ステファノ条約の破棄とベルリン条約の締結に成功した。これによりロシアはバルカン半島での南下政策を断念し、進出の矛先を極東地域に向けることになった。 近代国家の建設を急ぐ日本では、朝鮮半島を自国の独占的な勢力下におく必要があるとの意見が大勢を占めていた。朝鮮を属国としていた清との日清戦争に勝利し、朝鮮半島への影響力を排除したものの、中国への進出を目論むロシア、フランス、ドイツからの三国干渉によって、下関条約で割譲を受けた遼東半島は清に返還された。世論においてはロシアとの戦争も辞さずという強硬な意見も出たが、当時の日本には列強諸国と戦えるだけの力は無く、政府内では伊藤博文ら戦争回避派が主流を占めた。ところがロシアは露清密約を結び、日本が手放した遼東半島の南端に位置する旅順・大連を1898年に租借し、旅順に旅順艦隊(第一太平洋艦隊)を配置するなど、満洲への進出を押し進めていった。 1900年にロシアは清で発生した義和団事変(義和団事件)の混乱収拾を名目に満州へ侵攻し、全土を占領下に置いた。ロシアは満洲の植民地化を既定事実化しようとしたが、日英米がこれに抗議しロシアは撤兵を約束した。ところがロシアは履行期限を過ぎても撤退を行わず駐留軍の増強を図った。ロシアの南下が自国の権益と衝突すると考えたイギリスは危機感を募らせ、1902年に長年墨守していた孤立政策(栄光ある孤立)を捨て、日本との同盟に踏み切った(日英同盟)。日本政府内では小村寿太郎、桂太郎、山縣有朋らの対露主戦派と、伊藤博文、井上馨ら戦争回避派との論争が続き、民間においても日露開戦を唱えた戸水寛人ら七博士の意見書(七博士建白事件)や、万朝報紙上での幸徳秋水の非戦論といった議論が発生していた。 1903年4月21日に京都にあった山縣の別荘・無鄰庵で伊藤・山縣・桂・小村による「無鄰庵会談」が開催されたが物別れに終わった。桂は後にこの会談で日露開戦の覚悟が定まったと書いているが、実際の記録類ではむしろ伊藤の慎重論が優勢であったようで、後の日露交渉に反映されることになる。 直前交渉 1903年8月からの日露交渉において、日本側は朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くという妥協案、いわゆる満韓交換論をロシア側へ提案した。しかし、積極的な主戦論を主張していたロシア海軍や関東州総督のエヴゲーニイ・アレクセーエフらは、朝鮮半島でも増えつつあったロシアの利権を妨害される恐れのある妥協案に興味を示さなかった。さらにニコライ2世やアレクセイ・クロパトキン陸軍大臣も主戦論に同調した。常識的に考えれば、強大なロシアが日本との戦争を恐れる理由は何も無かった。 セルゲイ・ヴィッテ首相は、戦争によって負けることはないにせよロシアが疲弊することを恐れ、戦争回避論を展開したが、これは皇帝達によって退けられた。ロシアは日本側への返答として、朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずるという提案を行った。 日本側では、この提案では朝鮮が事実上ロシアの支配下となり、日本の独立も危機的な状況になりかねないと判断した。またシベリア鉄道が複線化されるとヨーロッパに配備されているロシア軍の極東方面への派遣が容易となるので、その前の対露開戦へと国論が傾いた。そして1904年2月6日、日本の外務大臣小村寿太郎は当時のロシアのローゼン公使を外務省に呼び、国交断絶を言い渡した。 ロシア側にとって、この通告がいかに突然であったかを知るには、ローゼン公使の対応を見てもわかる。ローゼンは戦争が起きるとは想像していなかったらしく、この国交断絶通告を受け取った際、「この通告が戦争を意味するものか」と小村寿太郎に聞いた。ニコライ2世も「わがロシア帝国と日本との戦争は有り得ない。なぜなら朕がそれを欲しないから」といい、日本は戦争を決断しないだろうと考えていたという。これに対し小村寿太郎は、「この行為は戦争を意味するものではない」と返答。(司馬遼太郎『坂の上の雲』より)この返答は、国際法上の解釈から言えば違法と言えるものではないが、この状態ではどの外交ルートもあるわけではなく、実質的には戦争開始の通告である。かくしてニコライ2世は、1904年2月10日、アレクセーエフに対し日本との戦闘行為を容認。戦争を決断した。 各国の思惑 南アジアおよび清に権益を持つイギリスは、日英同盟に基づき日本への軍事、経済的支援を行った。露仏同盟を結びロシアへ資本を投下していたフランスと、ヴィルヘルム2世とニコライ2世とが縁戚関係にあるドイツは心情的にはロシア側であったが具体的な支援は行っていない。 戦費調達 戦争遂行には膨大な物資の輸入が不可欠であり、日本銀行副総裁高橋是清は日本の勝算を低く見積もる当時の国際世論の下で戦費調達に非常に苦心した。開戦とともに日本の既発の外債は暴落しており、初回に計画された1000万ポンドの外債発行もまったく引き受け手が現れない状況であった。是清はまず渡米するもアメリカの銀行家からはまったく相手にされず、次いで渡英して、額面100ポンドに対して発行価格を93ポンドまで値下げし、日本の関税収入を抵当とする好条件で、イギリスの銀行家たちと1ヶ月以上交渉の末、ようやくロンドンでの500万ポンドの外債発行に成功することができた。 直後、再度渡米して、帝政ロシアを敵視するアメリカ・ロスチャイルド家のユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフと接触し、残額500万ポンドの外債引き受けおよび追加融資を獲得した。一転、1904年5月に鴨緑江の渡河作戦でロシアを圧倒して日本が勝利すると、国際市場で日本外債は急騰し、第2次から第4次の外債発行により、合計で10億円超の資金を調達した(当時の国家予算は約7億円)。 経過 開戦時の両軍の基本戦略 日本側 陸軍は第一軍で朝鮮半島へ上陸、鴨緑江を渡河しつつ、在朝鮮のロシア軍と第一会戦を交えた後に満洲へ進撃。第二軍をもって遼東半島へ橋頭堡を立て旅順を孤立させる。そののち、満洲平野にて第三軍、第四軍を加えた四個軍でもって、ロシア軍主力を早めに殲滅する。のちに沿海州へ進撃し、ウラジオストックの攻略まで想定。海軍は旅順及びウラジオストックにいるロシア太平洋艦隊を黄海上にて殲滅した後に、ヨーロッパより回航してくるバルチック艦隊と決戦し、殲滅する。軍令機関が陸海軍並列対等となった初めての戦争であることに留意。 ロシア側 黄海の制海権確保の前提に基づき、日本側の上陸を朝鮮半島南部と想定。鴨緑江付近に軍を集結させ、北上する日本軍を迎撃させる。失敗した場合は日本軍を引き付けて、順次ハルビンまで後退して、補給線の延びきった日本軍を殲滅するという戦略に変わる。 開戦 日露戦争の戦闘は、1904年2月8日、旅順港に配備されていたロシア旅順艦隊(第一太平洋艦隊)に対する日本海軍駆逐艦の奇襲攻撃に始まった。この攻撃ではロシアの戦艦に損傷を与えたが大きな戦果はなかった。同日、日本陸軍先遣部隊の第12師団木越旅団が朝鮮の仁川に上陸した。瓜生外吉少将率いる日本海軍第三艦隊の巡洋艦群は、同旅団の護衛を終えたのち、2月9日、仁川港外にて同地に派遣されていたロシアの巡洋艦ヴァリャーグと砲艦コレーエツを攻撃し損傷を与えた(仁川沖海戦)。2月10日には日本政府からロシア政府への宣戦布告がなされた日本軍による戦闘行為は国交断絶後に開始されており国際法上合法である。。 ロシア旅順艦隊は日本の連合艦隊との正面決戦を避けて旅順港に待機した。もしロシアのバルチック艦隊(第二・第三太平洋艦隊)が極東に回航して旅順艦隊と合流すれば戦力は圧倒的となり、制海権はロシアに奪われることになる。連合艦隊は2月から5月にかけて、旅順港の出入り口に古い船舶を沈めて封鎖しようとしたが、失敗に終わった(旅順港閉塞作戦)。4月13日、連合艦隊の敷設した機雷が旅順艦隊の戦艦ペトロパブロフスクを撃沈、旅順艦隊司令長官マカロフ中将を戦死させるという戦果を上げたが、5月15日には逆に日本海軍の戦艦「八島」と「初瀬」がロシアの機雷によって撃沈される。一方で、ウラジオストクに配備されていたロシアのウラジオストク巡洋艦隊は、積極的に出撃して通商破壊戦を展開する。4月25日には日本軍の輸送艦金州丸を撃沈するなど、日本近海を縦横無尽に行き来し、これを追う日本の上村中将率いる第二艦隊を右往左往させ、船舶による補給に頼る日本軍を悩ませた。 黄海海戦・遼陽会戦 黒木為楨大将率いる日本陸軍の第一軍は朝鮮半島に上陸し、4月30日-5月1日、安東(現・丹東)近郊の鴨緑江岸でロシア軍を破った(鴨緑江会戦)。続いて奥保鞏大将率いる第二軍が遼東半島の塩大墺に上陸し、5月26日、旅順半島の付け根にある南山のロシア軍陣地を攻略した(南山の戦い)。南山は旅順要塞のような本格的要塞ではなかったが堅固な陣地で、第二軍は死傷者4,000の損害を受けた。東京の大本営は損害の大きさに驚愕し、桁を一つ間違えたのではないかと疑ったという。第二軍は大連占領後、第1師団を残し、遼陽を目指して北上した。6月14日、旅順援護のため南下してきたロシア軍部隊を得利寺の戦いで撃退、7月23日には大石橋の戦いで勝利した。 6月6日、乃木希典大将率いる第三軍が大連に上陸したが、陸軍の旅順攻略参戦を頑なに拒む海軍の意向を受け、満洲軍総司令部の指示により旅順に向けて漸進を余儀なくさせられる。海軍陸戦重砲隊が旅順要塞への砲撃を開始した。これを受けて旅順艦隊は旅順から出撃、8月10日、東郷平八郎大将率いる連合艦隊との間で黄海海戦となった。この海戦で連合艦隊は旅順艦隊の巡洋艦3隻他を撃沈したが、主力艦を撃沈することはできなかった。そのころロシアのウラジオストク艦隊は、6月15日に輸送船常陸丸を撃沈するなど(常陸丸事件)活発な通商破壊戦を続けていた。8月14日、上村彦之丞中将率いる日本海軍第二艦隊は蔚山沖でようやくウラジオストク艦隊を捕捉し、大損害を与えその後の活動を阻止した(蔚山沖海戦)。他方陸軍は7月の大本営通達を受けて、第三軍は旅順攻囲戦の第一回総攻撃を8月19日に開始した。だがロシアの近代的要塞の前に死傷者1万5,000という大きな損害を受け失敗に終わる。 8月末、日本の第一軍、第二軍および野津道貫大将率いる第四軍は、満洲の戦略拠点遼陽へ迫った。8月24日-9月4日の遼陽会戦では、第二軍が南側から正面攻撃をかけ、第一軍が東側の山地を迂回し背後へ進撃した。ロシア軍の司令官クロパトキン大将は全軍を撤退させ、日本軍は遼陽を占領したもののロシア軍の撃破には失敗した。10月9日-10月20日にロシア軍は攻勢に出るが、日本軍の防御の前に失敗に終わる(沙河会戦)。こののち、両軍は遼陽と奉天(現・瀋陽)の中間付近を流れる沙河の線で対陣に入った。 旅順攻略 第三軍は旅順攻囲戦を続行中であったが、旅順要塞に対する10月26日からの第二回総攻撃は失敗し、11月26日からの第三回総攻撃も苦戦に陥る。戦況を懸念した満州軍総参謀長兒玉源太郎大将は、大山巌元帥の指示を受け旅順方面へ着任。大本営と海軍の執拗な主張を受け入れ、攻撃目標を要塞北西の203高地に絞り込む。 日露両軍ともに戦死5,000、戦傷者10,000以上を出す激戦のすえ、第三軍は12月4日に203高地を占領し、ロシア軍は戦力を決定的に消耗した。その後第三軍は、満洲軍総司令部の当初からの攻撃目標であった要塞東北正面の堡塁群を攻略し、1905年1月1日にロシア軍旅順要塞司令官のステッセル中将は降伏した。 沙河では両軍の対陣が続いていたが、ロシア軍は新たに前線に着任したグリッペンベルク大将の主導のもと、1月25日に日本軍の最左翼に位置する黒溝台方面で攻勢に出た。一時、日本軍は戦線崩壊の危機に陥ったが、秋山好古少将、立見尚文中将らの奮戦により危機を脱した(黒溝台会戦)。2月には旅順攻略を完遂した第三軍が戦線に到着した。 奉天会戦 日本軍は、ロシア軍の拠点・奉天へ向けた大作戦を開始する(奉天会戦)。2月21日に日本軍右翼が攻撃を開始。3月1日から、左翼の第三軍と第二軍が奉天の側面から背後へ向けて前進した。ロシア軍は予備を投入し、第三軍はロシア軍の猛攻の前に崩壊寸前になりつつも前進を続けた。3月9日、ロシア軍の司令官クロパトキン大将は撤退を指示。日本軍は3月10日に奉天を占領したが、またもロシア軍の撃破には失敗した。一連の戦いで両軍とも大きな損害を受け作戦継続が困難となったため、その後は終戦まで四平街付近での対峙が続いた。 日本海海戦 戦争の決着をつけたのは海戦であった。バルト海沿岸を本拠地とするロシアのバルチック艦隊(第二・第三太平洋艦隊)は、旅順(旅順陥落の後はウラジオストク)へ向けてリエパヤ港を出発し地球を半周する航海を続け、1905年5月27日-5月28日の日本海海戦において日本軍連合艦隊と激突した。連合艦隊は、東郷平八郎司令長官の優れた戦術、二人の参謀(秋山真之、佐藤鉄太郎)による見事な作戦、上村彦之丞将軍率いる第二艦隊(巡洋艦を中心とした艦隊)による追撃、鈴木貫太郎の駆逐隊による魚雷攻撃作戦、下瀬火薬(世界最強火薬)、伊集院信管、新型無線機、世界初の斉射戦術、世界最高水準の高速艦隊運動などによって、欧州最強と言われたバルチック艦隊を圧倒、これを殲滅した。なお、当日、日本軍連合艦隊には、4名のイギリス観戦武官が同船しており、元来イギリスの戦法であるT字戦法に関しての補佐・指導を行った。 バルチック艦隊の司令部は司令長官を含めてまるごと日本軍の捕虜となるほど、連合艦隊の一方的な圧勝で、世界のマスコミの予想に反する結果に、列強諸国を驚愕させ、ロシアの脅威に怯える国々を熱狂させた。この結果、日本側の制海権が確定した。 サハリン攻略 Template main?日露戦争の終結直前の段階で日本軍はサハリン攻略作戦を実施し、全島を占領した。この占領が後の講和条約で南樺太の日本への割譲をもたらすこととなる。なお、この時、ロシア人捕虜の虐殺が行われた北海道新聞「サハリンの日本兵慰霊碑再建を 苫小牧の梅木さん訴え」2008年10月14日。 講和へ ロシアでは、相次ぐ敗北と、それを含めた帝政に対する民衆の不満が増大し、1905年1月9日には血の日曜日事件が発生していた。日本軍の明石元二郎大佐による革命運動への支援工作がこれに拍車をかけた。日本も、当時の乏しい国力を戦争で使い果たしていた。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。 日本は19か月の戦争期間中に戦費17億円を投入した。戦費のほとんどは戦時国債によって調達された。当時の日本軍の常備兵力20万人に対して、総動員兵力は109万人に達した。戦死傷者は38万人、うち死亡者8万7,983人に及んだ。 さらに、白米を主食としていた陸軍の野戦糧食の不備により、脚気患者が25万人、病死者は2万7,800人に上った。これは当時の陸軍軍医総監だった森鴎外(森林太郎)の責任も大きかった。日清・日露戦争は脚気との闘いでもあった。麦飯を混ぜていた海軍では脚気の死者はほとんどなかった。 年表 thumb|right|240px|第一軍司令官[[黒木為禎]] thumb|right|240px|第一軍に同行する[[観戦武官、イアン・ハミルトンおよびマックス・ホフマンの姿が見える]] 1904年 2.6日本、ロシアに対して最後通牒発令 2.8日本陸軍、仁川に上陸開始 2.8日本海軍、旅順港外のロシア艦隊を夜襲 2.9仁川沖海戦 2.10相互宣戦布告 2.24第一次旅順口閉塞作戦 3.27第二次旅順口閉塞作戦 5.1鴨緑江会戦 5.8日本陸軍、遼東半島に上陸開始 8.10黄海海戦 8.14蔚山沖海戦 8.19第一次旅順総攻撃 8.30遼陽会戦 9.19第二次旅順総攻撃 10.9沙河会戦 10.15バルチック艦隊出航 11.26第三次旅順総攻撃 12.5日本軍、旅順口203高地を占領 12.31第四次旅順総攻撃 1905年 1.2旅順開城 1.25黒溝台会戦 3.1奉天会戦 5.27日本海海戦 6.9セオドア・ルーズベルト、正式に日露両国へ講和勧告 6.12ロシア、講和勧告を正式に受諾 7.7日本軍、樺太作戦開始し、南樺太へ上陸 7.31日本軍、樺太作戦で樺太を占領 8.9ポーツマスで日露講和会議がはじまる 9.1日露両国、休戦議定書に調印(休戦) 9.5日露両国、日露講和条約(ポーツマス条約)調印 10.14日露両国、日露講和条約(ポーツマス条約)批准(終戦) 影響 日本 ロシア帝国の南進を抑えることに成功し、加えて戦後に日露協約が成立したことで、相互の勢力圏を確定することができた。こうして日本は朝鮮半島の権益を確保できた上、新たに東清鉄道の一部である南満州鉄道の獲得など満洲(中国東北部)における権益を得ることとなった。またロシアに勝利したことは、列強諸国の日本に対する評価を高め、明治維新以来の課題であった不平等条約改正の達成に大きく寄与した。 ポーツマス条約の内容は、賠償金を取れないなど、多くの国民にとって予想外に厳しい内容だったため、日比谷焼打事件をはじめとして各地で暴動が起こり、戒厳令が敷かれるに至った。これは、ロシア側へいかなる弱みともなることをも秘密にしようとした日本政府の政策に加え、新聞以下マスコミ各社が日清戦争を引き合いに出して戦争に対する国民期待を否応なしに煽ったために修正がきかなくなっていたこともあり、国民の多くは戦争をしている国力の実情を知らされず、目先の勝利によってロシアが簡単に屈服させられたように錯覚した反動から来ているものである。 この戦争において日本軍および政府は、旅順要塞司令官のステッセルが降伏した際に帯剣を許すなど、武士道精神に則り敗者を非常に紳士的に扱ったほか、戦争捕虜を非常に人道的に扱い、日本赤十字社もロシア兵戦傷者の救済に尽力した。日本軍は国内各地に捕虜収容所を設置したが、愛媛県の松山にあった施設が著名であったため、ロシア兵側では降伏することを「マツヤマ、マツヤマ」と勘違いしたというエピソードもある捕虜も参照。。 また、元老でありながら参謀総長として戦争を指揮した山縣有朋の発言力が高まり、陸軍は「大陸帝国」論従来は、島国である日本本土の防衛を重視して海軍の充実が主唱されてきたが、アジア大陸最東部の満洲・韓国を支配圏に置いた以上は、日本も大陸国家としての備え(即ち強力な陸軍)が必要であるとする主張のこと。とロシアによる「復讐戦」の可能性を唱えて、1907年には山縣の主導によって平時25師団体制を確保するとした「帝国国防方針」案が纏められる。だが、戦後の財政難から師団増設は順調にはいかず、18師団を20師団にすることの是非を巡って有名な2個師団増設問題が発生することになった。 あまり知られていないが、日露戦争において旅順要塞での戦闘に苦しめられた陸軍は、戦後、ロマン・コンドラチェンコによって築かれていた旅順要塞の堡塁を模倣し、永久防塁と呼ばれた演習用構造物を陸軍習志野錬兵場内に構築、演習などを行い要塞戦の戦術について研究したというエピソードが残されており、当時の陸軍に与えた影響の大きさを物語っている。 この戦争により、陸軍においては白兵突撃至上主義が、海軍においては艦隊決戦至上主義が確立され、後の太平洋戦争まで両者共に大きく影響を及ぼすことになる。 なお、賠償金が取れなかったことから、日本帝国は欧米金融機関に対して金利を払い続けることとなった。 ロシア 伝統的な南下政策がこの戦争の動機の一つであったロシア帝国は、この敗北を期に極東への南下を断念した。南下の矛先は再びバルカンに向かい、ロシアは汎スラヴ主義を全面に唱えることになる。このことが汎ゲルマン主義を唱えるドイツや、同じくバルカンへの侵略を企むオーストリアとの対立を招き、第一次世界大戦の引き金となった。また、戦争による民衆の生活苦から血の日曜日事件や戦艦ポチョムキンの叛乱等より始まるロシア第一革命が誘発され、ロシア革命の原因となる。 李氏朝鮮(大韓帝国) 開戦前の大韓帝国では、日本派とロシア派での政争が継続していたが、日本の戦況優勢を見て、東学党の系列から一進会が1904年に設立され、大衆層での親日的独立運動から、日本の支援を受けた合邦運動へ発展した。ただし当初の一進会の党是は韓国の自主独立であった。 西欧 日露戦争をきっかけに日露関係、英露関係が急速に改善し、それぞれ日露協約、英露協商を締結した。既に締結されていた英仏協商と併せて、欧州情勢は日露戦争以前の英・露仏・独墺伊の三勢力が鼎立していた状況から、英仏露の三国協商と独墺伊の三国同盟の対立へと向かった。こうしてイギリスは仮想敵国をロシアからドイツに切り替え、ドイツはイギリスとの建艦競争を拡大してゆく。 アメリカ アメリカはポーツマス条約の仲介によって漁夫の利を得、満洲に自らも進出することを企んでいたが、思惑とは逆に日英露三国により中国権益から締め出されてしまう結果となった。以後もアメリカは「機会均等」を掲げて中国進出を意図したが、結局上手くいかず、対日感情が悪化する。これは日英同盟の解消や軍縮の要求などにつながり、黄禍論の高まりと共に、後の第二次世界大戦を引き起こす日米対立の第一歩となった。 当時の大統領セオドア・ルーズベルトは、ポーツマス条約締結に至る日露の和平交渉への貢献が評価され、1906年のノーベル平和賞を受賞した。 清朝 日露戦争の戦場であった満州(東三省・現在の中国東北部)は清朝の主権下にあった。満州族による王朝である清は建国以来、父祖の地である満洲には漢民族を入れないという封禁政策を取り、中国内地のような目の細かい行政制度も採用しなかった。開発も最南部の遼東・遼西を除き進んでおらず、こうしたことも原因となって19世紀末のロシアの進出に対して対応が遅れ、東清鉄道やハルピンを始めとする植民都市の建設まで許すこととなった。さらに義和団の乱の混乱の中で満洲は完全にロシアに制圧された。1901年の北京議定書締結後もロシアの満洲占拠が続いたために、張之洞や袁世凱は東三省の行政体制を内地と同一とするなどの統治強化を主張した。しかし清朝の対応は遅れ、そうしているうちに日露両国が開戦し、自国の領土で他国同士が戦うという事態となった。 終戦後は、日本は当初唱えていた満洲に於ける列国の機会均等の原則を翻し、日露が共同して利権を分け合うことを画策した。こうした状況に危機感をつのらせた清朝は直隷・山東からの漢民族の移民を奨励して人口密度の向上に努め、終戦の翌々年の1907年には内地と同じ「省・府・県」による行政制度を確立した。ある推計によると、1880年から1910年にかけて、東三省の人口は743万4千人から1783万6千人まで膨れ上がっている。曹樹基著『中国人口史 第5巻』復旦大学出版社、2001年5月、704ページより。やや時間のとっているスパンが長いが、同時期の人口の急激な増加がうかがえる。さらに同年には袁世凱の北洋軍の一部が満洲に駐留し、警察力・防衛力を増強するとともに、日露の行動への歯止めをかけた。また、日露の持つ利権に対しては、アメリカ資本を導入して相互の勢力を牽制させることで対抗を図ったが、袁世凱の失脚や日本側の工作もあり、うまくいかなかった。また、1917年のロシア帝国崩壊後は日本が一手に利権の扶植に走り、ついに1932年には自身の傀儡国家である満州国を建国した。太平洋戦争で日本が敗れて撤退すると、代わって進駐したソ連が満洲侵略に乗じて日本の残したインフラを持ち去り、旅順・大連の租借権を主張した。中華人民共和国が中国東北部を完全に掌握したのは1955年のことであり、日露戦争から50年後のことであった。 その他各国 当時、欧米列強の支配下にあり、後に独立した国々の指導者達の回顧録に「有色人種の小国が白人の大国に勝ったという前例のない事実が、アジアやアフリカの植民地になっていた地域の独立の気概に弾みをつけたり人種差別下にあった人々を勇気付けた」と記されるなど、植民地時代における感慨の記録が数多く見受けられるたとえばカナダサスカチュワン州のウクライナ系移民は自分達の町にミカドと名付けている。。ただし、しばしば使われる「有色人種の国が初めて白色人種の国に勝った」という表現は誤りである。近代以前においては言うに及ばず、近代においても第一次エチオピア戦争においてエチオピア帝国がイタリア王国に勝利した先例がある。また、絶対君主制(ツァーリズム)を続ける国に対する立憲君主国の勝利という側面もあった。いずれにしても日露戦争における日本の勝利が及ぼした世界的影響は計り知れず、歴史的大事件であったことには変わりない。 日露戦争の影響を受けて、ロシアの植民地であった地域やアジアで特に独立・革命運動が高まり、清朝における孫文の辛亥革命、オスマン帝国における青年トルコ革命、カージャール朝における立憲革命や、仏領インドシナにおけるファン・ボイ・チャウの東遊運動、英領インド帝国におけるインド国民会議カルカッタ大会等に影響を与えている。 発行物 特殊切手として(1906年4月29日)、1銭5厘、3銭の切手が発行された。 脚注 参考文献 Template 参照方法? 歴史書 デニス・ウォーナー、ペギー・ウォーナー(著)、妹尾作太男・三谷庸雄(共訳)『日露戦争全史』、時事通信社、1978年、ISBN 4788778254 軍事史学会編 『日露戦争(一)-国際的文脈』、錦正社、2004年、ISBN 4764603187 軍事史学会編 『日露戦争(二)-戦いの諸相と遺産』、錦正社、2005年、ISBN 4764603195 従軍記・回想録 水野廣徳 『此一戦』、明元社、2004年、ISBN 4902622017 櫻井忠温 『肉弾』、明元社、2004年、ISBN 4902622025 アレクセイ・ノビコフ=プリボイ(著)、上脇進(訳)『ツシマ―バルチック艦隊の壊滅』上、下、原書房、2004年版、ISBN 4562037865, ISBN 4562037873 関連書籍 吉村昭 『海の史劇』、新潮文庫、1981年、ISBN 4101117101 野村実 『日本海海戦の真実』、講談社現代新書、1999年、ISBN 4061494619 柘植久慶 『あの頃日本は強かった 日露戦争100年』、中公新書ラクレ、2003年、ISBN 4121501063 山室信一 『日露戦争の世紀―連鎖視点から見る日本と世界』、岩波新書、2005年、ISBN 4004309581 黒岩比佐子 『日露戦争 勝利のあとの誤算』、文春新書、2005年、ISBN 4166604732 森貞彦 『日露戦争と「菊と刀」』、東京図書出版会、2004年、ISBN 443040065 日露戦争研究会 『日露戦争研究の新視点』、成文社、2005年、ISBN 4915730492 日露戦争を描いた作品 小説 司馬遼太郎 『坂の上の雲』全8巻、文春文庫、1999年、ISBN 4167105764, ISBN 4167105772, ISBN 4167105780, ISBN 4167105799, ISBN 4167105802, ISBN 4167105810, ISBN 4167105829, ISBN 4167105837 児島襄 『日露戦争』全8巻、文春文庫、1994年、ISBN 4167141469, ISBN 4167141477, ISBN 4167141485, ISBN 4167141493, ISBN 4167141507, ISBN 4167141515, ISBN 4167141523, ISBN 4167141531 田山花袋 『一兵卒』 映画 『明治天皇と日露大戦争』(1957年、新東宝、監督:渡辺邦男) 『日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里』(1957年、監督:森一生) 『明治大帝と乃木将軍』(1959年、監督:小森白) 『明治大帝御一代記』(1964年、監督:大蔵貢) 『日本海大海戦』(1969年、監督:丸山誠治) 『二百三高地』(1980年、監督:舛田利雄) 『日本海大海戦 海ゆかば』(1983年、監督:舛田利雄) テレビ 『坂の上の雲』 - 2009~2011年に予定されていたNHKスペシャル大河。 漫画 江川達也『日露戦争物語』 - ただし、この作品は日清戦争の途中で打ち切りになっている。 ゲーム 『Tsushima』『Port Arthur』Marc W. Miller / GDW 1975年、国際通信社 2004年 『日露戦争』、エポック社 1982年、国際通信社 2001年、ボードゲーム 『日本海大海戦』、エポック社 1983年、ウォーゲームエレクトロニクス 『日露戦争』、ジェネラル・サポート 1999年・2002年・2004年、PC向け 『らいむいろ戦奇譚』、エルフ 2002年、※18禁ゲーム 『Distance Guns Russian-Japanese War at Sea』、Storm Eagle Studios - 日露戦争の海戦ゲームで、日本未発売。 関連項目 Template commons? 日清戦争 正露丸 - 衛生管理が不十分だったこの頃、正露丸によって兵士たちの腹痛、下痢が激減したという。元々は「征露丸」と表記していた。 脚気 モシン・ナガンM1891/30 - 帝国ロシア側主用小銃 外部リンク Template lang? - 日露戦争の研究ページ。英語。 Template lang? - 「海における日露戦争 1904-1905年」海軍中心の日露戦争研究ページ。ロシア語。 Дедовские войны - 主に19世紀ロシアの戦争を扱ったページ。ロシア語。書庫 (библиотека) にノビコフ・プリボイ作「ツシマ」などを収める。 日露戦争特別展―公文書にみる日露戦争 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター 第一次世界大戦 - 日露戦争- 日露戦争の解説。 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月17日 (金) 13 17。
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日露関係 / シベリア出兵 +クチコミ検索 #bf +ブログサーチ #blogsearch +ニュースサーチ <ゴールデンカムイ>テレビアニメ第1期が2022年1月に再放送 第1~3期の年末6夜連続放送も(MANTANWEB) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【青天を衝け】渋沢栄一倒れ慶喜が見舞い 2人の場面に吉沢亮「泣けるシーンばかり」 - ENCOUNT 働き方改革を阻む年末調整 廃止して「全員確定申告」にするとどうなる? - SankeiBiz 集団引き揚げ75年 樺太の記憶、映像で残す 稚内の大学生 証言や手記基に奮闘 /北海道 - 毎日新聞 【書評】江戸時代、日露友好を願った若き将校の思いを現代に蘇らせる(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 開戦から80年 不戦へ過去に学ぶ努力を - 佐賀新聞 明治~昭和 はがきで回顧 - 読売新聞 伊藤忠2代目が「約100年前の英国留学」で気付いた日本の商慣習の問題点 - ダイヤモンド・オンライン 「美しく死ぬなんて、できない」零戦操縦士が語る【日米開戦】と開戦阻止に奔走した福島県人の思い(福島テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 3回目のワクチン接種 医療従事者対象に実施 感染拡大防止へ 【福島県いわき市】 - www.fnn.jp 日本の安全保障に「第2次日英同盟」が急務 100年前の解消を歴史的失敗の教訓に(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ウラジオストクの本願寺跡に記念板設置 周囲に日本人街の名残も - 毎日新聞 - 毎日新聞 熊本・済々黌の2つの戦争慰霊碑 次世代への継承目指す(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 麻生氏、安倍氏とのあつれき避ける考え 財政政策の方向性巡り(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <速報>新型コロナ1人感染確認【福島県12月7日公表分】 - www.fnn.jp 米の対露制裁、金融網遮断も 「ハイブリッド戦争」警戒(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 昭和天皇は「覚悟あらせられる様子」 太平洋戦争直前、側近が日記(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 乃木希典の和歌展示 牧之原市史料館 - 中日新聞 【今日は誰のお誕生日?】12月7日がお誕生日の声優さんは? (2021年12月7日) - エキサイトニュース ロ印首脳、軍事協力強化を議論 海軍基地の相互利用検討―初の2プラス2も開催 - 時事通信ニュース 都大路へ!全国高校駅伝に男女揃って出場・学法石川高校が大会での活躍を誓う<福島県> - www.fnn.jp 在日インフルエンサーが魅力発信「呼びたいけど呼べない…」感染状況に影響される観光業界の一手<福島県> - www.fnn.jp 3回目接種8カ月を待たず前倒しへ 福島県は3月までに対象者全員が打てる計画 - www.fnn.jp 福島刑務所に服役中の男 初対面の刑務官を殴った疑いで書類送検 - www.fnn.jp WP「ロシア、来月兵力18万を動員してウクライナ侵攻計画」(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 『鬼滅の刃』の舞台「大正」ってどんな時代? さまざまな疑問について、スタディサプリの人気講師・伊藤賀一さんに聞いた!(ダ・ヴィンチニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース まだ鮮やか、奥武蔵を代表する紅葉の名所 埼玉・飯能の東郷公園、多くの家族連れなどでにぎわい(埼玉新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「特攻」のメカニズム(6) 司令官の戦後<1> 加藤拓(読者センター) - 中日新聞 「鬼滅の刃」「ゴールデンカムイ」「るろ剣」…明治・大正時代のアニメでタイムトラベル!おすすめ作品【6選】(アニメ!アニメ!) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日露戦争の勝利に大きく貢献 フランスの参戦防ぎ、ロシア・バルチック艦隊を邪魔した英国(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 透徹した美意識、収集に情熱 大阪で「コレクター福富太郎の眼」展 鏑木清方らの優品80点 - 神戸新聞 バンダイキャラ「神酒ノ尊」に仲間入り 「元帥」ゆかりの地 探訪 あすからスタンプラリー 鳥取・倉吉(日本海新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ひき逃げ容疑で福島市職員の女を逮捕 容疑を否認〈福島県〉 - www.fnn.jp 9歳女子児童が重傷 国道横断中に乗用車にはねられる〈福島県会津若松市〉 - www.fnn.jp 13日連続 1日も感染確認なし《福島県12月2日発表・新型コロナ》 - www.fnn.jp 中州に取り残された3人を救助 12月としては異例の大雨 いわき市では避難指示発令 【福島県】 - www.fnn.jp 創業118年、神戸の老舗「ブティックセリザワ」の挑戦【上】 原点は一枚のカーディガン(WWDJAPAN.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 大雨・強風の影響で在来線が運休・運転見合わせ<福島県>(12月1日午前9時30分時点) - www.fnn.jp 「犯行態様は危険性が高く悪質」母親に暴行を加え死亡させた男に懲役8年の判決〈福島県いわき市〉 - www.fnn.jp よみがえる日英同盟 英空母「クイーン・エリザベス」日本初来航の歴史的意味 英国にとって「太平洋の最良のパートナー」 安倍政権以降に急速に深化(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ウイグル、チベット、内モンゴル......中国による民族弾圧の原点は毛沢東にあり(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 1日朝はザーザー降りに 午後は暴風 福テレ斎藤気象予報士《これから天気》11月30日 - www.fnn.jp 同僚・部下へのセクハラやパワハラなどで小学校校長や教諭を懲戒処分<福島県教育委員会> - www.fnn.jp 太平洋戦争開戦80年に考える「戦争とメディアと言論人 日清・日露戦争から今日」(12/4 14 00~、大阪・高槻市) - レイバーネット日本 なぜ日本の牛乳は美味しいのか?「別次元の美味しさ」の可能性(幻冬舎ゴールドオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース バス代補助やリフト券割引 雪不足・新型コロナに苦しんだスキー場を福島県が支援 若い世代を呼び込む狙い - www.fnn.jp 虐待があった保育園への福島県の対応は?再発防止向けて調査へ【福島県二本松市】 - www.fnn.jp 86歳で博士号「学びは喜び」 5年かけ論文、出版目指す(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 宝物、本堂にずらり 千葉・福正寺、2年ぶり風入れ式 日清、日露戦争の遺品も /千葉 - 毎日新聞 トップアスリートが直接指導 陸上王国・福島をさらにアツく 日本陸上800m優勝の田母神一喜選手 - www.fnn.jp 福島県知事「法律に基づく設立」を求める 浜通りに整備される国際教育研究拠点 - www.fnn.jp 4日連続 22日は感染確認なし《福島県11月23日発表・新型コロナ》 - www.fnn.jp 【新刊紹介】日米開戦をスクープした記者が書いた内幕:後藤基治著『開戦と新聞』(nippon.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 福島市長選挙・投票率は過去最低34.79% 現職の木幡浩さんが2期目の当選<福島県> - www.fnn.jp 3日連続 21日は感染確認なし 今後に備え医療提供体制の確保計画を示す《福島県・新型コロナ》 - www.fnn.jp 明治政府が日本領に編入した「中ノ鳥島」は実在しなかった。海図から削除されて75年(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 今泉佑唯が『修羅雪姫』で体当たり復帰「この1年、生きてることがつらいなと感じた日々。この作品で勇気をもらえた」(週プレNEWS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 大砲をぶっ放すぞ、江戸幕府に凄んだ米国とロシアの大きな違い - auone.jp 福島県でも部分月食 ISS通過で豪華な天体ショーに 福テレ斎藤気象予報士《これから天気》11月19日 - www.fnn.jp 追い続けたフォトグラファーに聞く 魅力とすごさ エンゼルス・大谷翔平選手MVP受賞 - www.fnn.jp <ゴールデンカムイ>札幌PARCOでコラボクリスマス企画 レストランで限定メニューも(MANTANWEB) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ドイツを崇拝しすぎて日本を破滅に向かわせた外交官 「日独伊三国同盟」締結を推し進めた大島浩(1/4) - JBpress ドイツを崇拝しすぎて日本を破滅に向かわせた外交官(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース [コラム]日本の朝鮮半島支配に一助した「桂・タフト密約」で米国が非難される理由(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース アメリカはあくまで仮想敵だった? 日米開戦を止められなかった「海軍の誤算」(PHPオンライン衆知(歴史街道)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース カラオケ店内にスイーツ店が開店 コロナ禍で遠のいた客足を映えスイーツで取り戻す<福島県郡山市> - www.fnn.jp 噂が噂を呼ぶ韓国の「日本埋蔵金(金塊2トン)騒動」の続報 ついに侵入者逮捕!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 創業120周年の老舗駅弁屋さん、そのルーツとは? ~松江駅弁・一文字家(ニッポン放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 原敬:日本初の本格的政党内閣を率いた平民宰相(nippon.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 寒冷前線の影響で警報級の大雨の恐れ いわき市小名浜では1時間降水量が25.5ミリ<福島県> - www.fnn.jp NHK大河ドラマ「青天を衝け」主人公 渋沢栄一が遺したもの 連載寄稿 第6回「ビバ渋沢栄一!」 エッセイスト・加藤正孝(鶴巻) | 秦野 | タウンニュース - タウンニュース 【朝刊先読み!】露の船員救った住民の歴史、映画で紹介 - 山陰中央新報 日露戦争捕虜のロシア人慰霊祭 名古屋・平和公園 - 中日新聞 日清、日露戦争で3万人以上が「脚気」で死亡…文豪・森鴎外の「大失敗」とは? - ダイヤモンド・オンライン 日露戦争戦死者を悼む石碑改修 - 47NEWS 露極東に日本海海戦の碑 犠牲の水兵ら追悼 - 産経ニュース 日露戦争 沈没船乗組員と救助した人たちの交流描いた映画完成 - NHK NEWS WEB 習志野原今昔物語:/7 日露から第一次世界大戦 「騎兵の街」に戦車連隊 鉄道敷設や運転訓練も /千葉 - 毎日新聞 日本の命運を暗転させた日英同盟廃棄の教訓| 「新・日英同盟」の行方(5) - Nippon.com 大量の「霊璽」発見 日清、日露の戦没者慰霊? 「お盆前に出てこられた」 なぜか神社の屋根裏に - 丹波新聞 日露戦争の連合艦隊司令長官、東郷平八郎が揮毫した絵画が上越市の小学校に残る - にいがた経済新聞 日露戦争などの戦没者忠魂碑を清掃 敦賀・粟野の3団体 - 中日新聞 日露戦争の軍人資料、なぜ家に 伊万里の林さん古書発見 <こちさが> 当時は戦勝ムード、出版相次ぐ|行政・社会|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE - 佐賀新聞 習志野原今昔物語:/5 日露戦争見据え訓練重ね 最強のコサック撃破 秋山騎兵旅団、凱旋帰国 /千葉 - 毎日新聞 東郷平八郎、「日本海海戦」で危なかった可能性も…無謀な「東郷ターン」の真実 - 現代ビジネス 映画から見えた「この国のかたち」忘れ得ぬ一節、一場面 その2 - Japan In-depth 日本海海戦:ロシア海軍史上最悪の惨敗!… - ロシアNOW 日露戦争時のロシア地図も「日本領竹島」 日大・笠原助教が確認 - 産経ニュース 特別寄稿=イランが親日国になった理由=日露戦争勝利と日章丸事件=サンパウロ市在住 酒本恵三 - ニッケイ新聞 日本海海戦で沈没のロシア艦隊救出劇 継承を 島根で慰霊碑移設 - 毎日新聞 - 毎日新聞 日本近代の戦費調達を分析 非常時乗り切る財政策とは|NIKKEI STYLE - 日本経済新聞 日本が日露戦争で「常識を覆して勝利した」のはなぜか=中国メディア (2020年12月23日) - エキサイトニュース 【100年の森 明治神宮物語】御製(3)新聞に漏れ出た日露戦争の歌 - 産経ニュース 日露戦争 狙いは韓国支配…必然だったバルチック艦隊撃破|大人の基礎ノート 5分でわかる世界史 - 日刊ゲンダイ <世界の中の日露戦争>第15回~ポーツマス「談判」成立 - 読売新聞 ロシア民家に埋もれていた日露戦争の捕虜写真 物置で100年超保管、大阪の収容所で撮影か - 47NEWS ロシア兵捕虜、厚遇の跡 日露戦争時の大阪に収容所 - 日本経済新聞 日露戦争の3つのエピソード:ロシア兵の勇敢さに日本軍も驚嘆 - ロシアNOW <世界の中の日露戦争>第13回~奉天会戦と日本海海戦 - 読売新聞 <世界の中の日露戦争>第10回~会戦と海戦、日露の死闘 - 読売新聞 ● 日露戦争〔Wikipedia〕 ● 当サイト内ページ【特集・日本海海戦~天気晴朗ナレドモ波タカシ~:時事ドットコム】 .
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日清・日露戦争 今まで必死に、岩倉使節団を海外に送ってみたり、鹿鳴館を作って日本進んでるのよー。と無駄なアピールをしてみたりして、条約改正に喘いでた日本。 ノルマントン号事件を契機に不平等条約の解消が始まっていくのです。 条約改正 領事裁判権の撤廃(1894) イギリスとの条約で領事裁判権を撤廃。ノルマントン号事件が契機になったと思われる。 関税自主権の回復(1911) アメリカとの間で関税自主権を回復。 そして日本は列強へと突き進んで行く 日清戦争(1894~95) 朝鮮をめぐり、清と対立した日本は、甲午農民戦争が起きたのを良い機会だと思い清に攻めた。この争いに日本は勝利。 下関条約を結び、 朝鮮の独立を認諾。 遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲渡。 賠償金三億円の支払い。 を、行わせる。 しかし、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉により、遼東半島は清に返還。 日露戦争(1904) ※日英同盟・・・ロシアに対抗するためイギリスと締結。 日露戦争:韓国・満州をめぐりロシアと対立、開戦。 アメリカの仲介で ポーツマス条約 韓国での日本の優越権の承認。 旅順・大連の租借権の承認 南満州鉄道の鉄道利権を譲渡 北緯50度以南の樺太(樺太の南半分)を日本に譲渡 の内容で結ぶ。 韓国を植民地化 ポーツマス条約で韓国での優越権を認められた日本は、韓国併合(1910)。 日本人として教育するため、韓国人を日本語で教育したり、強制労働を行わせたりした。 ちなみにこのころ中国では、三民主義を謳う孫文を中心とし、辛亥革命(1912)が起こる。諸外国の帝国主義の流れや、日清戦争による敗北により国内の政治が混乱したが故だろう。 日本における産業革命 日清戦争のころ軽工業、賠償金による資金を得、また戦争のために日露戦争の頃には重工業が発達。鉄鋼の時給のため八幡製鉄所設立。 三井・三菱などの大資本家は、財閥形成。 社会運動 公害問題の発生 産業革命により、公害問題も発生してくる。 有名なのは、足尾銅山鉱毒事件ですな。田中正造が主となり、足尾鉱山閉山を求めた高いました。 そして労働争議の発生。社会主義社を弾圧する大逆事件なんつーのもおきました。 そーいえば、このころ(1907)義務教育が6年になります。大衆文化も発達。
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加藤陽子 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 朝日出版社 2009.7 (推薦図書) ケインズ 講和の経済的帰結 ぺりかん社 パリ講和会議の舞台裏 大学 長谷部恭男 『憲法とは何か』 岩波新書 戦争はどういう場合に起こるか 県立 市民7FSS323.0ハ 市立323ハ 大学旧080.2A.1002 小谷賢 『日本軍のインテリジェンス』 講談社選書メチエ 県立 『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』 講談社 県立 8F人文科学289.1フ 市立289フ 安部公房 『けものたちは故郷をめざす』 県立(全作品) 7FBアヘ 藤原彰 『餓死した英霊たち』 青木書店 県立 (参考文献) 序章 日本近現代史を考える リンカーン リンカーン演説集 岩波文庫 県立'66 9F'79 モリソン アメリカの歴史3 集英社文庫 市立書庫253モ3 大学旧 入江昭 二十世紀の戦争と平和 東京大学出版会 県立'00 8F社会科学319.8イ('00) 大学319.8.I64 クラウゼヴィッツ 戦争論 岩波文庫 県立(レクラム版) 9F上中下 大学旧 長谷部恭男 憲法とは何か 岩波新書 県立 市民7FSS323.0ハ 市立323ハ 大学旧080.2A.1002 カー 歴史とは何か 岩波新書 ハスラム 誠実という悪徳 現代思潮新社 県立 カー 危機の二十年 岩波文庫 9F 大学旧080.3.3648 見る・読む・わかる 日本の歴史 朝日新聞社 県立 9F メイ 歴史の教訓 岩波現代文庫 1章 日清戦争 三谷太一郎 近代日本の戦争と政治 岩波書店 8F人文科学210.6ミ 加藤陽子 『戦争の日本近現代史』 講談社現代新書 県立 7FSS210.6カ 市立 大学210.6Ka86 Sbrega Anglo-American Relations and Colonialism in East Asia, 1941-1945 Garland Publishing 茂木敏夫 変容する近代東アジアの国際秩序 山川出版社 岡本隆司 『世界のなかの日清韓関係史』 講談社選書メチエ 県立 8F人文科学221.0オ 大学319.1.O42 浜下武志 朝貢システムと近代アジア 岩波書店 大学新220.H26 坂野潤治 大系 日本の歴史 13 近代日本の出発 小学館ライブラリー 県立 9F 岡義武 山県有朋 岩波新書 県立'67 大学新310.8.O36.5(著作集) 牧原憲夫 客分と国民のあいだ 吉川弘文館 県立 8F人文科学210.6マ 市立書庫210.6マ 大澤博明 近代日本の東アジア政策と軍事 成文堂 2章 日露戦争 ビーティー 植民地 読売新聞社 横手慎二 『日露戦争史 20世紀最初の大国間戦争』 中公新書 7FS210.6ヨ 市立210.6ヨ 金文子 朝鮮王妃殺害と日本人 高文研 市立221キ 伊藤之雄 立憲国家と日露戦争 木鐸社 日露戦争研究会編 日露戦争研究の新視点 成文社 県立 井口和起 日戦争の時代 吉川弘文館 県立 8F人文科学210.6イ 市立書庫 川島真 中国近代外交の形成 名古屋大学出版会 県立 川島真、服部龍二編 東アジア国際政治史 名古屋大学出版会 大学319.2.H55 3章 第一次世界大戦 伊藤隆 大正期「革新」派の成立 塙書房 県立 北岡伸一 日本陸軍と大陸政策 東京大学出版会 NHK取材班編 理念なき外交「パリ講和会議」 角川文庫 9F ケインズ 講和の経済的帰結 ぺりかん社 大学旧331.7.Ke67 加藤陽子 戦争の日本近現代史 講談社現代新書 県立 7FS210.6カ 市立書庫 加藤陽子 戦争の論理 勁草書房 4章 満州事変と日中戦争 家近亮子 蒋介石と南京国民政府 慶応義塾大学出版会 竹内洋 丸山真男の時代 中公新書 ヤング 総動員帝国 岩波書店 伊藤隆 近衛新体制 中公新書 県立 市立書庫 ルー 松岡洋右とその時代 TBSブリタニカ 市立書庫 ソーン 満州事変とは何だったのか 草思社 8F人文科学222ソ 市立書庫(上・下) 大学旧 坂野潤治 近代日本の外交と政治 研文出版 酒井哲哉 大正デモクラシー体制の崩壊 東京大学出版会 県立 井上寿一 危機のなかの協調外交 山川出版社 鹿錫俊 中国国民政政府の対日本政策 東京大学出版会 加藤陽子 模索する1930年代 山川出版社 加藤陽子 満州事変から日中戦争へ シリーズ日本近現代史5 岩波新書 県立 7FS210.7カ 市立210.7カ 大学旧 5章 太平洋戦争 山田朗 軍備拡張の近代史 吉川弘文館 県立 8F人文科学210.6ヤ 大学392.1.Y19 吉見義明 草の根のファシズム 東京大学出版会 大学新209.A94 加藤陽子 戦争の倫理 勁草書房 吉田裕 アジア・太平洋戦争 シリーズ日本近現代史6 岩波新書 県立 7FS210.7ヨ 市立210.7ヨ 大学旧 小谷賢 『日本軍のインテリジェンス』 講談社選書メチエ 県立 工藤章・田嶋信雄 日独関係史 東京大学出版会 Kimball Churchill and Roosevelt, the Complete Correspondence Princeton Unive press 波多野澄雄 幕僚たちの真珠湾 朝日選書 県立 9F 市立書庫 波多野澄雄 「大東亜戦争」の時代 朝日出版社 淵田美津雄、中田整一編・解説 真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝 講談社 県立 8F人文科学289.1フ 市立289フ 飯田市歴史研究所編 満州移民 現代史料出版 藤原彰 『餓死した英霊たち』 青木書店 県立
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政歴M@Dロマノフバスターズ!ジャパニーズ 日露戦争(OPver.) ロシアから見た日露戦争ロシアから見た日露戦争1/6 ロシアから見た日露戦争2/6 ロシアから見た日露戦争3/6 ロシアから見た日露戦争4/6 ロシアから見た日露戦争5/6 ロシアから見た日露戦争6/6 政歴M@D ロマノフバスターズ!ジャパニーズ 2008年10月31日 00 31 35 投稿 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5098688http //www.nicovideo.jp/watch/sm5098688 日露戦争(OPver.) 2008年10月07日 12 31 09 投稿 http //www.nicovideo.jp/watch/sm4855374http //www.nicovideo.jp/watch/sm4855374 ▲このページの目次に戻る ロシアから見た日露戦争 ロシアから見た日露戦争1/6 2008年06月23日 23 55 09 投稿 http //www.nicovideo.jp/watch/sm3750060http //www.nicovideo.jp/watch/sm3750060 ロシアから見た日露戦争2/6 2008年06月23日 23 37 38 投稿 http //www.nicovideo.jp/watch/sm3749809http //www.nicovideo.jp/watch/sm3749809 ロシアから見た日露戦争3/6 2008年06月24日 00 10 07 投稿 http //www.nicovideo.jp/watch/sm3750292http //www.nicovideo.jp/watch/sm3750292 ロシアから見た日露戦争4/6 2008年06月24日 00 25 55 投稿 http //www.nicovideo.jp/watch/sm3750492http //www.nicovideo.jp/watch/sm3750492 ロシアから見た日露戦争5/6 2008年06月24日 00 41 26 投稿 http //www.nicovideo.jp/watch/sm3750700http //www.nicovideo.jp/watch/sm3750700 ロシアから見た日露戦争6/6 2008年06月24日 00 56 35 投稿 http //www.nicovideo.jp/watch/sm3750871http //www.nicovideo.jp/watch/sm3750871 ▲このページの目次に戻る
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日本海海戦の時ってどんな感じだったのですか? 日本海海戦のときに連合艦隊がバルチック艦隊の艦船に日本語の当て字を使ってたと思うのですが。 日露戦争で南米のどこかの国の軍艦を要らなくなったから日本が2隻ぐらいもらったから、海戦に勝てたと聞きましたが 日露戦争のルーズベルトの調停は将来の日米の対立に備えて、日本に不利な内容にしたのでしょうか? 日露戦争時のロシア艦隊の編成について教えて下さい。 日露戦争の日本海海戦で「敵艦見ユ」の信号打電をロシア艦はECM使って妨害したんじゃなかったんでしたっけ? バルチック艦隊はアフリカ周りで来たのですか?スエズ運河はイギリスの嫌がらせで使えなかったのですか? 水師営会見でステッセル将軍が乃木大将に送ったアラビア馬は、ちゃんと乃木大将の手に渡ったんでしょうか? 日本とロシアの動員兵力と、両国の戦死者・捕虜の数教えてください バルチック艦隊は最初20ノットぐらい出せたのが航海中にフジツボが付いて速力が二桁切ったと聞きました。 日露戦争のときにアメリカ軍は朝鮮に上陸しましたか? 日露戦争は1904年2月に日本より開戦したと聞いております。 日露戦争において、日本軍は充分な冬季装備を持っていたでしょうか? 日露戦争のことを書いた本で読んどいたほうが良い本はありますか? ポーツマス条約についてのことなんですけど 「日本海海戦の東郷の戦法は、李舜臣の戦法から真似た」って話、聞いたことありますか? 日露戦争の旅順港において、かの28サンチ榴弾砲にて港内の旅順艦隊を砲撃、そのほとんどを沈めたわけですが、 天気晴朗なれども って一文は意味があってかかれたものですか 日露戦争の時、同盟国のイギリスとアメリカ・ドイツ・フランスといった国々はどちらが勝つと思っていたんでしょうか 日露戦争で、杉野兵曹長はどうなったのでしょうか? 日露戦争で大活躍をした時、明石元二郎の階級は何ですか? 日露戦争は英語で言うとなんですか? 日露戦争の開戦日等がどのサイトもまちまちで分かりません。 今「坂の上の雲」を読んでるのですがあの本に書かれている日露戦争の経過は正確なものなんですか? 日露戦争時の、日本陸軍の装備は諸外国に遅れをとっていた? 日露戦争におけるロシア側の勝利条件は何だったのでしょうか? もしも日露戦争で、満州で陸軍が完敗したり、日本海海戦で連合艦隊が壊滅してたらロシアは日本上陸作戦を行う予定や余裕は当時あったんでしょうか? 森鴎外と脚気…って,いったい戦争に何の関係があるんですか? 脚気の治療法は麦飯で確定してたけど、森鴎外やその他が騒いで妨害したんですよね? 東郷提督が連合艦隊長官に推挙された時に「東郷は運がいいから」,と言われたそうですが,そんなに運が良かったんですか? 加藤徹「西太后」という本にはロシアと清は日本に当たる秘密条約があったと書いてたんですが、それは考慮されなかったんでしょうか? 日露戦争当時の日本の状況を教えてください 日露戦争の時の三笠って当時はイギリス本国のものと比較しても最新鋭の戦艦だったんですよね。最新鋭の艦を売るようなまねを何でしたんでしょうか? 三笠は日本海海戦時に多くの敵弾を受け100人以上の士官、水兵の犠牲を出しましたが、その際の三笠の被害状態はどの程度のものだったのでしょうか? 日露戦争でロシア軍はまだまだ戦えたといいますけど、ならなんで朝鮮半島を諦めたのですか? なんで日露戦争にロシア側として動員された兵士はポーランドやフィンランド出身のものばかりなんですか? 日露戦役で挺身部隊への補給はどうのように行ったのでしょうか? 日露戦争で、日本海軍に津軽海峡を機雷封鎖する意思と能力はあったのでしょうか 下馬戦闘しかしていない秋山好古の部隊はとうてい騎兵とは言えないのではないでしょうか? 橘中佐は何が偉くて軍神になったのでしょうか。先頭に立って突撃したからですか? 日露戦争で日本海軍に使われた艦艇は全部、日本で作ったものではなくて外国産なんでしょうか? 日露戦争において、世界の政治家や軍人達が得ることの出来た教訓のようなものはあるのですか? 山本五十六長官が日露戦争当時に中指と人差し指を失う重傷を負ったのに、除隊にならなかったのはなぜでしょうか? 日露戦争の旅順要塞戦で、日本軍の野砲は効果があったんでしょうか? 日本海海戦は、丁字戦法で勝利したのでは無いって言われたんですけど、本当ですか? 日露戦争の旅順攻略戦で日本軍は機関銃に苦しめられたとのことですが、これは後の軍に影響を与えましたか? ポーツマス講和条約が締結されなかった場合、日露両軍はどんな作戦を採るつもりだったんでしょうか 日露戦争(とそれ以前の戦争)では兵士達が夜には酒を飲み交わしたというのは本当なんでしょうか? 日露戦争の黄海海戦のロシア艦隊は燃料不足になっていて、ウラジオストックまでたどり着く見込みは絶無だったというのは本当なのでしょうか。 日露戦争において日英同盟は役に立ったのですか? 日本海海戦の時ってどんな感じだったのですか? 日本海海戦の時は、重油でなく石炭焚きですから、煙で敵の接近を知りました。 その煤煙を目標にして、水平線上に艦影に映ってから照準を行いました。 (11 名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2) 日本海海戦のときに連合艦隊がバルチック艦隊の艦船に日本語の当て字を使ってたと思うのですが。 旗艦クニャージ・スウォーロフ 国親爺坐ろう アレクサンドル3世 呆れ三太 ボロヂノ ボロ出る アリヨール 蟻寄る オスラービヤ 押すとピシャ シソイウェリーキー 薄いブリキ アブラクシン 油布巾 ドミトリー・ドンスコイ ごみ取り権助 イズムルード 水漏るぞ 手許に本がないのでうろ覚えですが、こんな感じだったと思います。 この話は、日本側から日本海海戦を取り上げた本にはたいてい出ているかと。 (13 868) 日露戦争で南米のどこかの国の軍艦を要らなくなったから日本が2隻ぐらいもらったから、海戦に勝てたと聞きましたが アルゼンチンです。 巡洋艦「モレノ」「リヴァダヴィア」をそれぞれ買い取り装甲巡洋艦「日進」「春日」と命名しました。 正確には要らなくなったのではなく、イギリスが手を回して建造中の船を日本に買い取らせたのです。 (29 名無し軍曹) 日露戦争のルーズベルトの調停は将来の日米の対立に備えて、日本に不利な内容にしたのでしょうか? んなこたぁ無いです。 継戦能力が限界にきててルーズベルトに頼るしか打つ手が無かった日本、 相次ぐ敗北で国際金融資本に見捨てられかけてたロシア、 こんな状況でどちらか一方のみにだだ甘の条件で手打ちなんか出来ませんって。 戦略的には痛みわけ、戦術的には日本の勝利ということで 戦前の日露交渉を日本有利の形で決着させる、ってのは妥当な線です。 日本が奉天・ウラジオも一気呵成に占領、 満州全域を支配下に収めロシアは極東の拠点をすべて失った……とかいう戦況であの条件なら、 そりゃああなたの言うような側面もあったかもしれませんが。 (33 373) 日露戦争時のロシア艦隊の編成について教えて下さい。 戦艦 Imperator Nikolai I(1891年竣工→1905年敗残艦隊を率いて降伏し、二等戦艦「壱岐」になり 後一等海防艦に艦種変更 → 1918年廃艦除籍・金剛/比叡の主砲射撃標的となる) Navarin(1896竣工→1905.5.28水雷艇からの魚雷で撃沈。) Sissoi Velki(1896竣工→1905.5.25砲雷撃で撃沈) Petropavrovsk(1899竣工→1904.4.13触雷、爆沈) Poltava(1899竣工→1904.8.10黄海海戦で大破→旅順からの28センチ砲により 爆沈→1906浮揚し、一等戦艦「丹後」となる→1912一等海防艦となり、 1916ロシア海軍に売却し、Tchesmaと改名→白海艦隊に配備されるも、 1923スクラップ) Sevastopol(1899竣工→1904.6.24と8.23に触雷小破→1905.1.2旅順からの 28センチ砲により大破、更に被雷し、着底、放棄 Peresviet(1901竣工→1904黄海海戦で大破→12.6旅順からの砲撃で着底→ 1906浮揚し、一等戦艦「相模」となる→1913一等海防艦に変更→ 1916.5.4ロシアに寄贈→1917.1.4回航中にポートサイドにて触雷沈没) Osliabia(1901竣工→1905.5.27対馬で撃沈) Pobieda(1901竣工→1904.4.13触雷→12.6旅順への28でセンチ砲砲撃で着底→ 1906浮揚し、一等戦艦「周防」となる→1913一等海防艦に変更し、第二 艦隊旗艦となる→1922除籍雑役船となり、呉工廠で解体中に浸水転覆 三つ子島の護岸用に船体は沈められる。) Retvisan(1901竣工→1904.2.9旅順港第一次攻撃で被雷、避難中に擱座→8.10 黄海海戦に出撃→12.6旅順港への砲撃で大破着底→1906浮揚し、一等 戦艦「肥前」となる。→第一次大戦では遣米支隊で米国沿岸に出動、 後にウラジオに派遣。→1922一等海防艦に変更→1923除籍→1924実艦的 として連合艦隊の前に沈没) Tsessarevitch(1903竣工→1904.2.9旅順で被雷→8.10Virgeft提督の旗艦として黄海海戦 に出撃するも中破、提督死亡。→清に逃亡し抑留→1914黒海艦隊に配備 される→1917.10.17ドイツ戦艦と戦闘するも逃亡に成功→1922廃艦) Bolodino(1904竣工→1905.5.27対馬で弾薬庫の爆発により撃沈) Imperator AlexanderIII(1903竣工→1905.5.27対馬にて大破口からの浸水で沈没) Orel(1904竣工→1905.5.27対馬にて中破→翌日捕獲し、一等戦艦「石見」となり、1910完成 →1913一等海防艦に変更し第一次大戦では青島に出動→シベリア出兵でウラジオに 派遣→1922除籍雑役船(標的船)となり、1924横須賀航空隊の爆撃標的で沈没) Kniaz Suvarov(1904竣工→1905.5.27対馬にて水雷艇の魚雷により沈没) 海防戦艦 Admiral Ushakov(1895竣工→1905.5.28撃沈) Admiral Seniavin(1896竣工→1905捕獲→二等海防艦「見島」→第一次大戦で青島に派遣。 →1920砕氷艦兼用に改造し、ウラジオ、シベリアに出兵。 →1924特務艇潜水艦母艇となる。→1935除籍→1936廃艦第七号として実艦的となる。 General Admiral Graf Apraskin(1899竣工→1905捕獲→二等海防艦「沖島」→第一次大戦で 青島に派遣→1923除籍雑役船(練習船)→1926廃船→ある財団法人に払い下げ→ 宗像郡津屋崎に回航、繋留し記念艦となるが、荒天で座礁したため、1939解体。 装甲巡洋艦 Vladimir Monomakh(1885竣工→1897改装→1905.5.28対馬にて撃沈) Dmitri Donskoi(1885竣工→1895改装→1905.5.29対馬から逃亡中、駆逐艦による夜襲を受け、自沈。) Admiral Nakhimov(1888竣工→1899機関換装→905.5.28自沈) Rurik(1895竣工→1904.8.14蔚山沖で日本巡洋艦隊と交戦し、撃沈。) Bayan(I)(1903竣工→1904.7..27触雷→1904.12.8旅順港への28センチ砲により着底。 →1906一等巡洋艦「阿蘇」となり、候補生練習艦として使用→1922敷設艦に改造、1931除籍 廃艦→1932艦砲射撃の実艦標的として撃沈) など。 (39 眠い人 ◆ikaJHtf2) 日露戦争の日本海海戦で「敵艦見ユ」の信号打電をロシア艦はECM使って妨害したんじゃなかったんでしたっけ? ロシア艦隊は無電の妨害はしなかった聞いています。 信濃丸がバルチック艦隊に接触したとき、ロシア艦隊も信濃丸を発見しています。 そこで、ロシア艦の1隻が無電妨害をするか旗艦に問い合わせたところ(当時は 火花式送信機のため、妨害は容易でした)、ロジェストウェンスキー司令長官は 「日本船の無電を妨害するな」という命令を出したそうです。 (40 598) バルチック艦隊はアフリカ周りで来たのですか?スエズ運河はイギリスの嫌がらせで使えなかったのですか? スエズ運河の渡航限界の都合で、艦隊を二分し、 一方はスエズ、他方は喜望峰周りで、マダガスカルで合流。 このマダガスカルでの待機期間が、東行行程のロスにもなった。 (45 340) まあそういうわけでスエズ不使用はイギリスの妨害工作……ってわけじゃないですが、 ロシアの同盟国であるフランスの港をなるべく使わせないよう、イギリス政府がフランス政府に圧力かけてたのは事実です。 結果、バルチック艦隊は航路の各地においておちついて休みをとることが出来ず 日本近海まで来たときには艦隊のコンディションは劣悪な状況でした。 「海路一万五千余浬(り) 万苦(ばんく)を忍び東洋に 最後の勝敗決せんと 寄せこし敵こそ健気(けなげ)なれ」 (45 342) 水師営会見でステッセル将軍が乃木大将に送ったアラビア馬は、ちゃんと乃木大将の手に渡ったんでしょうか? ステッセル将軍から送られたアラビア馬ですが、乃木邸の横に設けられた 馬小屋で飼われていたそうですよ。 ステッセル将軍のその後ですが、1906年8月に旅順開城の責任を問われて裁判に かけられています。1908年2月に財産没収のうえ銃殺刑と言う有罪判決が下りましたが 裁判所から皇帝に対し減刑(懲役10年)の請願があり、皇帝はそれを承認して 禁固10年に減刑され、彼はペトロパブロフスク要塞に収監されました。 1909年特赦により釈放、 1915年没。 乃木大将のその後は有名なので、調べてみてください。 (52 名無し軍曹) 日本とロシアの動員兵力と、両国の戦死者・捕虜の数教えてください 手元の資料に被害だけが載っていたので転載してみます。 日本側損害 (1)人員 死亡及び服役免除者 118000名 その他 2000名 (2)軍馬 38050頭 日本人捕虜については資料無し 露国側損害 人員 約115000名 日本側が捕獲した捕虜 79454名 捕獲馬 3983頭 軍旗 3 動員兵力は少しわかりませんでした。 (55 431) バルチック艦隊は最初20ノットぐらい出せたのが航海中にフジツボが付いて速力が二桁切ったと聞きました。 これはホントのことですか?また、本当ならロシアはなぜ掃除をしなかったんですか? 艦底の掃除はドック行かないと出来ない。 (68 258) 258でも答えが出ていますが、フジツボなどを落とす場合は、ドック入りをする必要があります。 しかし、英国と日本は日英同盟を結んでおり、明らかに日本に荷担していましたし、 ロシアと伝統的な同盟国であるフランスは、英国からの圧力が強く、 ドック提供を行えませんでした。 これは他国に於いても同様で、結果としてドックに入渠してのメンテナンスが出来ず、 マダガスカル島とインドシナでの簡単なメンテナンスしか行っていません。 (68 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日露戦争のときにアメリカ軍は朝鮮に上陸しましたか? 確かに開戦当初の仁川沖海戦の際には米軍艦が入港してたと思いますが。 居留民保護のために上陸したことはあっても戦闘のために上陸したことは無いでしょうね。 (68 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日露戦争は1904年2月に日本より開戦したと聞いております。 開戦の年を先延ばしにして、日本の軍事力・経済力の向上を待ってゆとりを持って開戦とか、 ロシアから宣戦布告してくるのを待って迎え撃つとかは現実的ではなかったのでしょうか? ゆとりを持って開戦 その間当然ロシア側も戦力を強化(旅順や奉天の守備隊を強化するとか それこそバルチック艦隊をウラジオに派遣するとか)する事ができ余計不利になるのでは? (69 465) 日露戦争において、日本軍は充分な冬季装備を持っていたでしょうか? 凍傷・凍死による被害はどうでしたか。 当時の日本軍の寒冷装備は、八甲田山であれほどの被害を出したにもかかわらず 非常にお粗末なものでした。 防寒具の調達は明治37年2月から始まり55万着を調達しました。 主に羊毛を使った胴衣を着用しましたが、生産能力が低かったため色や形がバラバラなうえ 前線に十分行き渡らずわら靴まで支給して寒さをしのがせたとのことです。 (79 名無し軍曹) 日露戦争のことを書いた本で読んどいたほうが良い本はありますか? 「ツシマ」 これ以外は資源の無駄、と断言しても良い (80 232) 「機密日露戦史」を忘れちゃいかんがね。 (80 ミリ屋哲 ◆qmwryStCos) ポーツマス条約についてのことなんですけど 日本がロシアから賠償金を取るのを諦め、代わりに カムチャッカ半島 樺太 ウラジオストック近辺を除いた、樺太北端のアムール川河口から上流までの南部 を領土として要求できなかったのでしょうか? 身の丈を弁えない主張ですね。 まるで、当時のマスコミの論調です。 既に日本には戦闘を行えるだけの国力が無く、ロシア本土への浸食は 間違いなく列強の干渉を招きます。 また、縦しんば、占領地を得たとしても、シベリア出兵のように、労多くして 益少なしと言う状況には代わりありません。 第一、インフラ整備だけで相当の国力を費やすと思いますけど。 (85 眠い人 ◆gQikaJHtf2) というか,ロシアがそんな提案に乗ると思う? 極東のロシア軍が完全に壊滅状態だったり,あるいは日本陸軍が圧倒的な数的優位に有るような 仮想世界なら話しはまた別だが。 ロシア側も早いところ戦争を切り上げたいと思っていたのは確かだが,日本側は ポーツマス会議が決裂したらもう後が無いぽ。 (85 716) 逆に賠償金を取り、代わりに旅順を返還するといったことは出来なかったのでしょうか? 当時の国民感情からすると、あれだけの兵士の血(とは言え、乃木の拙劣な指揮が原因ではあるが)で 贖った遼東半島とか旅順を取らないと言うのなら、国内的に大暴動が起きます。 (既に、賠償を取らないと決めた時点で、某新聞などの扇動で暴動が起きています) そもそも、日本の戦争目的は、日清戦争で遼東半島を獲得したのに、 それをロシアを始めとする三国干渉で取られたことに起因します。 旅順を放棄しても、清国、ロシアによって軍港設備が整備されている訳ですから、 何処か(ドイツ、フランスなど)が其処に進出してくるのは目に見えており、その周辺 海域の制海権を維持するためには、進出国にとって、日本の勢力圏たる朝鮮半島 が目障りになるので、同じ展開になる可能性が高くなります。 また、日露戦争の戦費については、英国で起債して調達した訳ですが、 その償還に問題が生じます。 賠償金だけでは、戦費償還が出来ません。 また、不安定な支配地域では、 他国からの投資を呼び込もうにもなかなかままならない所があるでしょうね。 満州を押さえても、その産品の積出港及びその近辺を他国に抑えられているとしたら、 容易に経済制裁が行えますし、積出港を新たに設けるとしたら、 インフラ整備などに多大な投資を必要とします。 (85 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 「日本海海戦の東郷の戦法は、李舜臣の戦法から真似た」って話、聞いたことありますか? 司馬遼太郎の創作だったと思われ。 「坂の上の雲」じゃなかったかな (86 436) 日露戦争の旅順港において、かの28サンチ榴弾砲にて港内の旅順艦隊を砲撃、そのほとんどを沈めたわけですが、 「なぜ、榴弾で戦艦を撃沈することが出来たのでしょうか?」 28サンチ砲は、もともと沿岸砲台として使用されていました。 それを取り外し、旅順まで持って行った。 つまり、最初から艦船を砲撃するための砲だったわけです。 また、旅順のベトン製要塞を砲撃した際も、分厚いベトンを貫徹することが 求められ、期待に応えた。 このことからも28サンチ砲が相当な貫通能力を有することが解ると思います。 また、指摘の通り当時の艦船は大落下角の砲弾への防御が十分でなかったことも 事実ですし、全般に防御力は貧弱でした。走攻守そろった戦艦の登場は、 ドレッドノートを待たねばなりません。 (92 859 天気晴朗なれども って一文は意味があってかかれたものですか 天気晴朗なれど波高し 天気は晴れていても、波が高いから、船体の上下運動が激しく、 主砲の狙いが付け難いから注意しなさいよ・・・って意味。 (94 35) 今日は天気が良いので敵を発見し損なう事は無い、砲戦になれば波の為に 照準が困難になるが、こちらの方が錬度が高いので負けることは無い。 という、ロシア艦隊に対する必勝の想いが込められている、 と聞いた事があります。 (94 75) 当時暗号電文を打つ時には解読を困難にするため末尾に意味の無い文を付け足したとの事。 この文の前には「敵艦見ゆとの警報に~」という本文があり、 前述の「天気晴朗~」が付け足しとして付けられたので、意味が無いと言えば無いともいえます。 (94 76) 35の捕捉・・・というか蛇足 その日の天気予報が「天気晴朗なれど波高し」だった 本格的な気象観測ははじまったばかりで 天気予報の的中率など高が知れていた時代だ 大してアテにならない筈の天気予報どおりの気象だったの 「こりゃ幸先がいい」 と、士気向上のために電文に盛り込まれた という話がある (94 87) 日露戦争の時、同盟国のイギリスとアメリカ・ドイツ・フランスといった国々はどちらが勝つと思っていたんでしょうか そりゃ、当時の世界の下馬評ではロシア有利だったわな。 日本海海戦の戦訓の一つは「軍艦は砲撃で破壊できる」だった。 英ドレッドノートに端を発するド級艦・超ド級艦の登場と、列強によるそれらの建造競争。 そういった大艦巨砲主義の時代の端緒となった面もなくはない。 実際WW2の日本は日本海海戦の勝利再びといったつもりで戦艦を建造していたわけだし。 (98 105) 日露戦争で、杉野兵曹長はどうなったのでしょうか? 明治37年3月27日の第二回旅順口閉塞作戦において、広瀬中佐は戦死し 杉野兵曹長は行方不明とされています。(いずれも死後昇進) しかし、杉野兵曹長に関しては日露戦争の後から生存説が囁かれていました。 大戦終結後には中国で生存している云々の報道が新聞に掲載されたようです。 今となっては真偽はわかりかねますが・・・。 (103 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 杉野兵曹長生存説については、 「杉野はいずこ」 林 えいだい 著 新評論 刊 定価 1800円+税(1998年)が詳しいかと。 (103 700) 日露戦争で大活躍をした時、明石元二郎の階級は何ですか? 1907年に陸軍少将に昇進するまでは大佐です. (105 消印所沢@FAQ保守員) 日露戦争は英語で言うとなんですか? Russo-Japanese War (105 眠い人 ◆gQikaJHtf2) Russo-Japan War, もしくはRusso-Japanese War (105 114) 日露戦争の開戦日等がどのサイトもまちまちで分かりません。 日露国交断絶通告、日本の宣戦布告、それぞれ何月何日ですか? 先ほど自分も確認にぐぐりましたが、「日露戦争」でも十分な情報が手に入りますが・・・ 2月6日に国交断絶 2月8日に旅順港奇襲 2月10日に宣戦布告です。 宣戦布告は遡って軍事行動開始後の8日から有効とされています。 蛇足としてはこの日本の宣戦布告が一つの動機となり、 1907年のハーグ陸戦協定で宣戦前の軍事行動は禁じられました。 (111 430) 今「坂の上の雲」を読んでるのですがあの本に書かれている日露戦争の経過は正確なものなんですか? 少なくともスパイ工作の評価の点では史実と大幅に異なります (115 306) 日露戦争時の、日本陸軍の装備は諸外国に遅れをとっていた? そうでもないよ。 (121 61) 日露戦争当時だと殆ど変わらんと思いますが。 (121 62) 1904年ごろは欧米の軍も日本の軍も その装備について大きな差はありません。 少なくとも「時代遅れ」なんて断言できるほどの差はなし。 (121 66) 当時、日本陸軍が装備していた三十年式歩兵小銃や、三一年式山砲は、性能的にも列強の物 と比べ劣る物では無かったし、機関銃の装備数とて、対峙した極東ロシア軍より多数装備していた。 海軍の装備も、敷島級戦艦などは、当時の世界最大、最強級の戦艦だった訳で、質の面で大きく 遅れていた訳ではない。しかし、まあ、当然新興国なので欧州列強より貧乏な訳で、弾薬等の 備蓄、生産がままならず、あっと言う間に底をついてしまったのは仕方の無い事ですが。 (121 69) 日露戦争におけるロシア側の勝利条件は何だったのでしょうか? ロシアとしては、時代によって異なるのですが、戦争前の段階では、日本は朝鮮半島を、 ロシアは、満州地域を、それぞれ互いに権益や経済特権を認めると言うものでした。 朝鮮半島全体の領有については、ロシアは費用対効果の面から無意味と思っていたようです。 但し、開戦直前の状況では、更に進んで、満州地域全体の領有を目的とし、その地域の安全を得るために、 朝鮮半島の一部を勢力圏に納める、あるいは、最低限、朝鮮半島を中立化すると言うものでした。 (201 眠い人 ◆gQikaJHtf2) もしも日露戦争で、満州で陸軍が完敗したり、日本海海戦で連合艦隊が壊滅してたらロシアは日本上陸作戦を行う予定や余裕は当時あったんでしょうか? 無理ですね。補給的に最良でも朝鮮半島まで取って終了でしょう。 ロシアとしては日本が大陸に手を出さなければOKなので、制海権握ればあとは問題なし。 わざわざ日本を占領しようって気はまるでなかったと思う。 (363 139,140) 森鴎外と脚気…って,いったい戦争に何の関係があるんですか? 第二軍軍医部長(のち,1907年10月に陸軍軍医総監)だった鴎外が脚気病原菌説に拘泥し,兵に白米を食わせ続けたため,脚気を蔓延させたという一種の薬害事件 in 日露戦争 日露戦争中,兵士の脚気が深刻な問題となった. 原因は主食が白米で,ビタミンB1が不足していたからだ. その事態に,軍は古くからの経験則より玄米食を制式採用しようとした. しかし,ドイツ医学を学び,脚気細菌原因説をとなえる森鴎外はその案に猛反対. 結果日本軍は露西亜でいらぬ犠牲を増やすことになったとさ. 「日露戦争中,森鴎外はどんなロシアの将軍よりたくさんの日本兵を殺している」 という話すらある. もっとも,脚気は鴎外だけに罪があるわけではなく,白米を基本的糧食とすることを望んだ兵隊にも,多少の責任があると思う. 確か,江戸時代の一人扶持を精米したものが,陸軍の一日の支給量と一致していたと思う. 白米が腹いっぱい食えることが軍のウリの一つだったしな. もちろん鴎外が,脚気の話のみで評価してしまうには惜しい人物であることに変わりはない. (軍事板) 脚気の治療法は麦飯で確定してたけど、森鴎外やその他が騒いで妨害したんですよね? 違います。 たしかに脚気は、経験上「江戸患い」といって、古来より白米を多く摂取する江戸に多く発生する風土病? のように受け取られていたのは事実。 だけど、明治時代の、しかも日露戦争の時点じゃ科学的な根拠はなーんもなかった。 もし、海軍軍医総監高木兼寛の実験を根拠にして言っているんなら、あんたは科学を知らない。 {高木軍医の実験} ①1883年、練習艦龍驤が訓練航海で脚気患者169名、死亡者25名を出した。 ②1884年、洋食に変更した改善食で、全く同じコースを訓練航海した練習艦筑波脚気患者14名、死亡者0名。 ただ、この実験は、①と②で全く同じ条件の航海だったという保証がないから、医学の実験としては不適切なの。 本当に比較試験したかったら、②の航海のときに、兵隊を2つの集団に分けて、片方の集団に従来食を、 もう片方の集団に洋食を与えなくてはいけない。 ですから、この実験が示された段階では、「脚気の治療法が麦飯である」とは断言できない。 「経験的に脚気の治療法が麦飯であろうと思われる」とならいえると思う。 ただし、この結果を示されながら、何も動かなかった森林太郎は外道だという評価は、言うまでもないと思いますが。 (644 耳鼻科医 ◆8SInHkpG2A*一部加筆修正) 軍隊での医者の仕事は戦力の維持。その観点からすれば「原因がわからなくても 対策ができる」のであれば採用する。実際、海軍は採用した。無根拠だのデータが 無いだのという話も「原因を医学的に証明する」論文やデータが無い、という話であ って、脚気対策としては高木の海軍病院でのデータがあって、それを踏まえての筑 波での洋食の実施になる。机上の空論であれば、予算も人員も装備も時間も必要 な上に、死者の出る可能性のある実験を行う理由が無い。 兵隊を2つの集団に分けて、片方の集団に従来食を、もう片方の集団に洋食を与えなくてはいけない。 これもおかしい。 海軍は脚気対策に成功し、その過程は陸軍に伝えている。細菌原因説に固執する がゆえに「納得がいかない」のは陸軍の軍医たちの都合。納得がいかないからと兵 を脚気で殺す理由にはならない。 データが用意できないのが悪い、というのは責任転嫁だ。脚気対策についてはドイ ツ留学組よりも臨床医学のイギリス留学組が早期に対策に辿り着いたために、面 子からそれを認めず、延々と非難を続けた。「到底受け入れられるはずも無い」とい うのであれば、ドイツ式の臨床医学で検証すればよいだけだ。 (667 ふみ ◆Y.QUKJBduY) 東郷提督が連合艦隊長官に推挙された時に「東郷は運がいいから」,と言われたそうですが,そんなに運が良かったんですか? 東郷提督の強運を示す例として黄海海戦の時を挙げるが ウラジオに逃げようとする旅順艦隊の戦艦レトウィザンが浸水,艦隊の速度が低下し,連合艦隊が砲戦を仕掛ける時間が増えた. 海戦で乗艦の三笠は被弾20発以上の損傷を受けるが,露天艦橋にいた提督はかすり傷一つ無し.(周囲は怪我人続出) 三笠から放たれた砲弾が敵旗艦ツェザレウィッチの艦橋に2発も命中. これにより旅順艦隊の首脳陣が全滅し,その混乱で艦隊は大打撃を受けた. と言った例がある. まあ,「運」だけが推挙理由ではないようだが. 加藤徹「西太后」という本にはロシアと清は日本に当たる秘密条約があったと書いてたんですが、それは考慮されなかったんでしょうか? 清は表向きは局外中立。 ロシアと清との協議はあくまで中立の内容についての交渉。 ただし戦時には中国の地方官憲から日本への献金が相次いだり 戦後日本は袁世凱や中国官憲に多くの勲章を進呈しているから 好意的中立で密かに協力してくれていたことに日本も感謝しているわけだ。 (365 461) 露清秘密協定が締結されたのは、三国干渉によって遼東半島を日本が返還した頃。 この三国干渉を見た清国は、これを利用して日本を抑えることができるんじゃないか?と考え、 ロシアと連携して日本を抑える「連露抑日論」が主流意見となったことが、 この秘密協定締結にまで至った原因。 ところがその後の義和団の乱では、ロシア軍は自国の権益のため、 協定をたびたび違反してやりたい放題で、清国では今度は逆に 日英同盟を利用してロシアを抑えようとした。 これは清国をして、第2次露清密約(旅順協定)の破棄に成功することとなる。 このように清国は、日本が進出しすぎていると思えばロシアと結び、 ロシアが進出しすぎていると思えば日本と結ぶという、 よく言えば臨機応変、悪く言えば長期戦略に欠けた、ふらついた行動をとっていたわけ。 で、日露戦争の頃はちょうど、抑露の側に立っていたということ。 (初心者スレ491 465) 日露戦争当時の日本の状況を教えてください 太平洋戦争では空襲により工業力が激減しましたが一応兵士は三食ちゃんと食えていたとききます しかしよもやま物語(どれかは忘れましたが)によれば日露戦争当時、内地では昼飯が饅頭一個という状況と書いてありました もしかすると太平洋戦争より日露戦争のほうがもっとヤバイ状況だったんじゃないでしょうか? 日露戦争(1904開戦)当時ったら、ついこの間まで江戸時代 八幡製鉄所の操業開始(1901年)したのが一昨々年で 東京に電灯が設置されてから15年 一般庶民の暮らしは「野麦峠」の世界だから、戦争なんかしなくたって国民のほとんどが極貧 昼飯に饅頭食うような贅沢は都市部の恵まれた住人で、田舎の貧農は娘売って一日一食の食事を浮かすありさま (363 241) 太平洋戦争末期の日本は、饅頭すら満足に作れなかったんだが… (砂糖が無い、餡子が無い、小麦粉が無い…) (363 242) 饅頭は贅沢品だから(小豆はともかく砂糖が高価)あんまり食べられないけれども, 雑穀飯が3度3度食えないほどには貧窮してないと思うぞ.今古い資料を見てみたけど, 1909年当時でひとりあたま一日2000kcalちょっとは消費してる.老人や女子供込みで. だから成年男子だったら2500以上は食ってるだろう. 田舎の貧農は娘売って一日一食の食事を浮かすありさま これは昭和恐慌のときの話.それ以前にはありえないほどひどい有様だったから 青年将校を含む多くの人間の憤激を買ったわけで.もちろんそれ以前にも 何らかの不幸により売られた娘はたくさんいただろうけど,社会現象という ほどじゃない. 太平洋戦争末期の日本は、饅頭すら満足に作れなかったんだが・・・・ だが実は最悪だったのは戦争末期よりは戦後すぐだったりする.45年に入ると 実は政府は既に戦争に勝利することをあきらめて,軍需物資よりも消費財の生産を 増やしてたりする.しかし戦争が終わると統制の緩みや配給制度の崩壊などで 状況が更に悪化してるんだよな.引き揚げてきた連中にも食わす必要があったし. (363 344) 日露戦争の時の三笠って当時はイギリス本国のものと比較しても最新鋭の戦艦だったんですよね。最新鋭の艦を売るようなまねを何でしたんでしょうか? 一つは、日英同盟による売却です。 もう一つは単純に商売としてのもの。 最新鋭戦艦を数隻保有していても、英国の方が数的に勝っているので、然程影響 が無いとの判断でしたし、自国で建造したものであれば、弱点は全て分かっていますから 対策も採りやすい。 最後が、新装備のテストとしてのもの。 自社開発したものが、自国の海軍で制式配備されるかどうか、使えるものであるか どうかをテストする為もありました。 (553 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 三笠は日本海海戦時に多くの敵弾を受け100人以上の士官、水兵の犠牲を出しましたが、その際の三笠の被害状態はどの程度のものだったのでしょうか? 日本海海戦の際に「三笠」は敵艦隊の砲撃の的となって 30.5センチ砲弾10発、15.2センチ砲弾21発を被弾しています。 このうちの30.5センチ砲弾1発によって後部マストが切断されました。 その他煙突なども穴だらけになったものの、外見上よく分かる致命的な破損は受けていません。 (580 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 日露戦争でロシア軍はまだまだ戦えたといいますけど、ならなんで朝鮮半島を諦めたのですか? ポーランドの内乱ぐらいで大国ロシアの戦争継続能力がゆらぐとは思えないのですが 血の日曜日事件を調べましょう。 これを契機に国内いたるところで暴動が発生して、とても戦争を継続できる状況じゃなくなったから。 (587 697) 最終的に日本を屈服させなければ朝鮮だけ取ったところで意味がないから。 ロシアが朝鮮を欲しがったのは貿易に必要な不凍港を欲したからだが、 朝鮮半島から太平洋に出ようにもそれを塞ぐ形で日本列島が立ちふさがってる。 (当時の日本は日本列島を千島から台湾までの領有していた) これじゃあトルコにダーダネス海峡を塞がれた黒海と同じじゃないか。 もちろん、朝鮮を足がかりにして日本を攻撃してもいい(日本はそれを懸念して日露戦争に踏み切ったわけだ)。 しかし、日本海を渡ろうにもロシアのバルチック艦隊と極東艦隊が壊滅してしまって、日本海軍は健在。 しかも後ろには米英がついてる。英は黒海を塞ぐクリミア半島で何度も何度もロシアの南下を阻止してきた。 これじゃあ、無理じゃねって思うよ。 (587 モッティ ◆uSDglizB3o) なんで日露戦争にロシア側として動員された兵士はポーランドやフィンランド出身のものばかりなんですか? わざわざ地球を半周させなくても、中央アジアあたりから徴用したほうが輸送コストがかからないんじゃないですか? ロシア語がわかんないと命令を聞かせられない。 わざわざ教育するのは面倒だし。 それに彼らは「辺境の現地民」であって、徴兵するような「国民」では なかったから。 (333 921) 日露戦役で挺身部隊への補給はどうのように行ったのでしょうか? 書籍やネット上では活動内容の情報は得られましたが、補給について詳しく記載された資料は見当たりませんね。 所持する日露戦役のDVDの中で部隊が敵後方の村で宿営するシーンが有りました。 現地人に変装した日本の軍人が部隊を出迎えて宿と食糧の手配をしています。 そこからの推定になりますが、事前に敵後方に複数の人員を派遣して挺身隊の支援活動をしていた思われます。 本来の彼らの任務は情報収集でしたが、これらの活動もしたのでしょうね。 DVDの題名は「敵中横断300里」です。同名の小説も有ります。詳しく知りたいのなら入手されてはいかがですか。 (602 不動産屋のオッチャン ◆UMCByHJxYk) 日露戦争で、日本海軍に津軽海峡を機雷封鎖する意思と能力はあったのでしょうか バルチック艦隊が対馬海峡を通ってウラジオストックに向かった理由の一つに、 津軽海峡は日本海軍が機雷封鎖している可能性が高い為だと聞きました。 津軽海峡で機雷戦…て日本はやる気満々でした。 運送船韓崎や駆逐艦山彦など、敵前強行敷設を担当する船も手配済みの状態で待ち伏せてました。 (325 携帯鷂 ◆exxupUqotM) 下馬戦闘しかしていない秋山好古の部隊はとうてい騎兵とは言えないのではないでしょうか? 日本陸軍の騎兵は偵察捜索が重要任務で、秋山支隊は偵察捜索隊も出し、 さらに撹乱の為に中隊規模の挺身隊まで出しています。 司馬氏の騎兵に対する捉え方はわかりませんが、 騎兵の強襲戦は南北戦争や普仏戦争で失敗か、大損害を受けて成功した例しかありません。 それを陸大で学び、フランス留学した秋山少将が分からない筈がないでしょう。 騎兵が可能な事は捜索、ごくまれに機会があれば強襲、機動に勝れば奇襲。 ただ、日本陸軍は兵力不足でしたから、黒溝台では左翼貼り付け配置になり、 結果的に陣地戦になったのでしょうね。 奉天戦では機動力を生かしてロシア軍背後の脅威になっています。 (607 57) 橘中佐は何が偉くて軍神になったのでしょうか。先頭に立って突撃したからですか? 遼陽会戦に於いて、敵堡塁に突撃、自ら塹壕に飛び込んで敵兵を斬り伏せ、血刀掲げて部下を叱咤激励した。 しかし、兵力差、火力差は如何ともしがたく、兵士の大半を喪い、少佐自ら左腕に敵弾が命中したが、怯まずに軍刀を尚振りかざし、 部下を励まして、遂に目的の高地を奪取し、頂上に国旗を掲げた。 これを回復せんと、ロシア軍が攻め込み、脇にいた内田軍曹が撤退を薦めるが、これを聴かず、「一旦占領した堡塁を敵手に渡すな」 と、大声で叫ぶと、敵の攻撃を二度、三度退けた。 その三度目に、少佐は肩に弾丸を受け、昏倒。 内田軍曹は慌てて塹壕に彼を引き込んだが、更に軍刀を杖にして立ち上がろうとした。 そこで、軍曹は少佐を背負って険しい道を駆け下ったが、激しい銃撃で、双方共弾丸を受け、その場に昏倒。 しかし、敵兵の突撃が迫る。 少佐は、「多くの兵を喪いながら、占領した陣地を取り返したのは残念だ」と述べ、「今日は皇太子殿下の誕生日。 このめでたい日に戦死するのは軍人の面目だ」と譫言を繰り返したという。 瀕死の軍曹であったが、少佐を背負ってなお自陣に戻ろうとして少佐の馬丁に出会い、遂に帰還を果たすも、 同日、両方とも死亡。 その少佐の勇敢無比な行動と壮絶無比な最後が、広瀬中佐と並び称せられ、軍神と言われるようになった。 (318 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日露戦争で日本海軍に使われた艦艇は全部、日本で作ったものではなくて外国産なんでしょうか? いいえ。 例えば対馬級防護巡洋艦は国内で建造されました。 つhttp //homepage2.nifty.com/nishidah/stc0316.htm 埋めがてら補足すると日露戦争期には小型巡洋艦が国産化され 明治末期から主力艦の国産が始まってます。 (317 991,996) 日露戦争において、世界の政治家や軍人達が得ることの出来た教訓のようなものはあるのですか? 「日露戦争で欧米列強陸軍が得た戦訓としては, 1. 重機関銃を陣地防御の要とする. 2. 敵陣突破の決め手は榴弾砲,とくに15cm以上の榴弾砲,10cm以上の加濃砲といった重砲の集中使用にある 3. 有刺鉄線の防御効果は絶大である. と言うもので,各国は重機関銃,重砲の開発,大量配備に躍起となり,陸戦力の主力兵科となりました.」 「戦訓としては日露戦争の日本海海戦(対馬海戦)が各国海軍に決定的影響を与えた。 最大の戦訓として採り入れられたのは、前半の主力艦同士の決戦だった。 ここから生じた結論は海戦では戦艦が決定的な役割を果たし、 その他は主要な砲戦に参加することができないというものだった。 そしてその他の艦は一括して補助艦艇と呼ばれるようになった。」 下記を参照ください。 http //www6.atwiki.jp/army2ch/pages/285.html 下記、海の戦いを参照ください。 http //ww1.m78.com/honbun-2/naval%20warfare.html (663 霞ヶ浦の住人 ◆ORAm06ellg*一部修正) 山本五十六長官が日露戦争当時に中指と人差し指を失う重傷を負ったのに、除隊にならなかったのはなぜでしょうか? ぎりぎり、除隊基準まで行かなかった。もう一本失ってたら、除隊だった。 (292 546) 日露戦争の旅順要塞戦で、日本軍の野砲は効果があったんでしょうか? 殆ど、効果はありませんでした。 この原因として挙げられるのが、砲弾です。 日露戦争では榴弾1発につき、榴散弾6発の割合で補給されました。 現場では、「榴弾寄越せ、ヽ(*`Д´)ノゴルァ(意訳)」だったのですが、陸軍中央では、その実態を把握せず、 平坦地であろうが要塞であろうが、榴散弾偏重で、生産が行われていました。 榴散弾は時限信管で前方に中の子弾を飛散させるもので、榴弾が着発または時限信管で弾体そのものを 破裂させてその破片による殺傷効果を全周に渡って及ぼすのに比べ、調定に失敗すると子弾の飛散範囲 が小さくなったり、威力が落ちたりします。 また、地上に落ちて起爆すると、前方にしか子弾が飛ばないので、意味がありません。 こうしたことから、野砲の砲撃は、余りにも効果がありませんでした。 しかも、1904年5月の南山の戦闘で消費した砲弾は2日で3万発。 これは、開戦前に見積もった数値の半年分、砲弾生産量の3ヶ月分で、9月には備蓄砲弾が底を突いて いますから、砲撃もおいそれと行われなかったので…。 (小銃弾の補給も追いつかず、石つぶてを投げたと言う話もあったりしますが) (255 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本海海戦は、丁字戦法で勝利したのでは無いって言われたんですけど、本当ですか? 丁字戦法をとった場合、艦隊の末尾方向に進路を取られると、 頭を押さえられなくて逃げられるということが黄海海戦で何度かあった。 当時の日本艦隊は、バルチック艦隊がウラジオストックに 逃げこむことを一番おそれていたし、バルチック艦隊もそれを 目指していた。 だから、綺麗な丁字型を描かず、艦隊の末尾方向に逃げられないような 進路をまずとってからターンをした。 その動きを丁字戦法と解釈するか、それとも絶対にウラジオ方面に 逃げられないように敵艦隊の頭を押さえる動きと解釈するかは、 解釈する人次第。 こんな動き。 http //www.z-flag.jp/suigun/naval/tsushima_war.html だいたいの戦闘は同航戦なのは確か。 (246 32) 日露戦争の旅順攻略戦で日本軍は機関銃に苦しめられたとのことですが、これは後の軍に影響を与えましたか? その戦闘を観戦した武官の報告により、英国以外の欧州各国は、その導入に邁進しました。 それには、日本も例外ではありません。 例外が米国と英国で、米国は1916年に至るまで、ルイス機関銃の試射さえ拒み続けましたし、 英国は、1914年段階で、歩兵大隊に2丁の機関銃が割り当てられていたに過ぎませんでした。 詳しくは、「機関銃の社会史」というそのものずばりの本が、平凡社から出ていますので、ご参照 いただければ宜しいかと思いますよ。 (236 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ポーツマス講和条約が締結されなかった場合、日露両軍はどんな作戦を採るつもりだったんでしょうか ロシアについては、長春、哈爾浜方向に日本軍を誘導し、補給線を切断、更に、 補給が途絶えたところで一気に攻勢を掛け、日本軍を追い落とすと言う、朝鮮 戦争の状況を考えていたみたいです。 日本については、満州方面では持久戦を何とか行い、優勢な海軍力を利用して、 樺太を占領後、浦塩を占領すべく、兵力を動かすと言う感じだったか、と。 どちらにしても、これ以上の攻勢は掛けられませんでしたが。 (235 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日露戦争(とそれ以前の戦争)では兵士達が夜には酒を飲み交わしたというのは本当なんでしょうか? 日露戦争で日本が国力をぎりぎりまで注いだのは正しいが 総力戦といわれるとそれは違う (俺初質スレ436 331) ロシアは革命が起こりそうだったんで(国力の)全力は出せてないし 日本は経済がヤバくなるんで(国力の)全力は費やしていない (俺初質スレ436 333) 日露間だけの出来事とはいえ総力戦の様相を呈した初めての戦争だったわけですが第一次世界大戦から何故そういったことが無くなったのですか? 戦闘の合間に両軍が戦死者の遺体を収容する時間があって、その時は戦闘も停止して酒を酌み交わしたと言われてる 一次大戦でも最初は互いの偵察機が挨拶したり、ほのぼのしてたが途中から拳銃で撃ち合いやレンガの投げ合いになり、後半は飛行機に機銃積んで撃ち合った 潜水艦の通商破壊も、当初は攻撃前に警告して船員を避難させてから攻撃した 日露戦争や南北戦争は、一応総力戦の萌芽とは言われる だが本格的な総力戦になると、そんな余裕はなくなり殺伐としたものになる (俺初質スレ436 334) 総力戦かどうかの違いは、国民の戦争参加の度合いだ 従来の戦争は政府と軍だけで戦争して国民は無関係だったが、総力戦では国民も無関係ではない 戦時動員で平時の数倍の生産力を求められ、産業動員で軍需工場で働いたり、都市が空襲されたり 徴兵で訓練済みの兵だけでなく、根こそぎ動員で未訓練の兵まで短期訓練で戦地に行く 統制経済によって、産業は軍需一辺倒になり、物流や資源は戦争遂行に最優先で投入される 国家全体国民全体が軍事最優先になるのが総力戦だ (俺初質スレ436 337) 日露戦争の黄海海戦のロシア艦隊は燃料不足になっていて、ウラジオストックまでたどり着く見込みは絶無だったというのは本当なのでしょうか。 明確に嘘 「ツシマ」も「もうひとつのツシマ」も邦訳出版されているから 読んでおくべきだと思うぞ(邦題は違うが検索すれば多分ヒットする) (俺初質スレ436 482) そんな話は信頼できる資料には出てこないな。 大体、ロクに活動してない旅順艦隊がなんで 石炭不足になると思うのかが良く分からん。 (俺初質スレ436 483) 仏印で補給してるし、上海に給炭艦回して買い込んでるぞ。 (俺初質スレ436 484) お前ら、黄海海戦と日本海海戦を勘違いするなよ? 日本海海戦の話なら石炭不足で津軽海峡や宗谷海峡 のルートが取れなかったのは事実なんだからな? (俺初質スレ436 485) 482はバルチック艦隊と旅順艦隊とを混同していませんか? 黄海海戦で戦ったのは旅順艦隊です。 「ツシマ」、「もうひとつのツシマ」はバルチック艦隊の話で、 旅順艦隊の詳しい話が載っていた覚えはないのですが、私の記憶違いでしょうか。 旅順艦隊に所属している多くの軍艦の航続距離では戦闘を行って旅順からウラジオまで たどり着くのは難しいと聞いたのですが。 実際に「ノーウィック」は燃料切れで補給のためにコルサコフに立ち寄り、そこで撃破の憂き目を見たそうですが。 間違いでしょうか。 484によると旅順艦隊は仏印で補給を受けたとのことですが、どうやって受けたのでしょうか? まさか旅順から遥々仏印まで行き、それからウラジオへ? (俺初質スレ436 486) 旅順艦隊の動向はバルチック艦隊の面々の関心の的でもあったので 各所に分散して折に触れ記述があるよ (俺初質スレ436 487) 旅順からウラジオストックまでの海路は1100マイル ぐらいしかないので航続距離は十分足りる。 ノーウィックが石炭切れになったのは 単艦では対馬海峡が突破できないから 東シナ海から太平洋に出て宗谷海峡経由で帰る というとんでもない遠回りを強いられたから。 (俺初質スレ436 488) 日露戦争において日英同盟は役に立ったのですか? 立った (俺初質スレ436 913) 具体的には? 戦ってたのは日本だけでイギリスは何もしてないのでは 別に直接戦う必要はない 戦争中はイギリスがロシアに協力しないというだけで影響は出てくる 例えば石炭などをイギリスやイギリス植民地から輸入できないとか、イギリス植民地に艦隊が寄港できないとか 日本の国債を買ってもらったり、日本の戦艦をイギリスで建造購入したりなど 逆にロシアはイギリスから軍艦の購入はできない (俺初質スレ436 918) イギリスがロシアと軍事衝突すると、フランスとの戦争にまで繋がりかねないので。 これが交戦状態になってたら、日本が返済できる金利での日本国債の購入やバルチック艦隊 回航に見られるような、中立国へのえげつない外交圧力が出来なくなったかと。 あとバルチック艦隊が日本艦隊と誤認してイギリス漁船を砲撃したりはしてますけど。 (俺初質スレ436 919) 有名な「坂ノ上の雲」もバルチック艦隊に関する記述は、ほぼ「ロシア海軍残酷物語」だしな。 (俺初質スレ436 920) 外債募集のチャンスはロンドンで与えてる、日露戦争の戦費の大半はここで調達した外債頼み アルゼンチンが手放した巡洋艦2隻をロシアが買う前に買わないかと通報、日本が競り勝ち この2隻は日本海海戦でも重要な役割を果たす バルチック艦隊を出港から英海軍がちくいち見張ってる、 しかも出港直後、確認ミスで英漁船をさせ英国世論、ひいては国際世論をロシア不利に誘導 航路においてもフランス他に石炭補給やめろの圧力、これが日本海海戦の帰趨にかなり大きく影響したのはご存知 あまり出回ってない情報だがバルチック艦隊のコース逐一日本海軍に通報の援護 最終的には自国の国益のためとはいえ、ぶっちゃけ日英同盟本文や通例の同盟国の範疇を超えて協力してる、それが大英帝国 ボーア戦争以後栄光ある孤立を捨てて最初に選んだ同盟国・日本への義理堅さもあったかもしれない (俺初質スレ436 921) もっとも日本海海戦以後は英国も当時の例外ではなく 黄禍論的な沈鬱なムードに染まっていくけどな、 日本海海戦勝報にさぞ同盟国のロンドンっ子は喜んでるだろうと街に繰り出した孫文が見て残した日記が有名 風刺画だけで上下巻の本になってるから読んでみ、その量に圧倒されるから (俺初質スレ436 922)